2019年11月23日☆ 日常雑記など

なんやかやと仕事に追われて、集中してましたら11月も後半です。 本来であれば22日がケネディ暗殺の日なので、なにかしら報告しなければならんのですが、いま別の仕事も入り面目ないところです。 以前、こう言う時の井上ひさしさんの弁明の仕方はやはり天才的かつ芸術的でしたね。北杜夫さんとも交流がありましたが、北さんは絶対に締切前に出すのが習慣となってましたが、井上さんはなにせ号が「遅筆堂」※ですから、編集者も泣かされ手に負えませんでした。原稿催促の電話に「死んでお詫びします」なんて言うんですから(笑) ※ 井上さんが「遅筆堂」と名乗ったので私は「早筆堂」ソクヒツ堂(スグニカキアゲルドウ)にしました。 また、社会的なニュースでは某国で、ジ・ソミヤか、ザ・富谷か、とかで世間をお騒がせしましたが、結局、全部ガセネタでしたね。一番の恩恵者は日本のユーチューバーさん方のようでしたね。 情報の分析力とかの高さもユーチューバーの方が圧倒的に優れていて、日本のジャーナリズムや評論界はどうしたんでしょう、それとも何かバイアスでも掛かってるんでしょうか? その辺の大根役者よりも当たりませんでしたね。 ついでに「大根役者」の語源は、大根は元々水分が多く味は有りませんが、煮付けなどにするとその分出汁を吸い込んでくれて、けっこう重宝するし、あと多少作り置きして古くなり傷んだ物を食べてもお腹を壊さない、食痛りしないんだそうです。 そこで、いくら興業を打っても流行らない(当たらない役者)を大根役者と呼んだんだそうです。歌舞伎界から来てます(笑) するとこれからは「大根記者」や「大根記事」ってのも有りそうですね。 あと、昨年のちょうど今頃11月16日のこのコーナーに書いた、石巻のサン・ファン・バウティスタ号の今後のことですが、本日の朝日新聞に「なんらかの形で保存したい」と伊達総家18代「伊達泰宗」さんが立ち上がってくださいましたので報告します「さすがだなぁ」と、ひと安心しました。私も出来るかぎり応援します。 もったいないので、解体しても燃やしたりしないで、計画が整うまで一時保管したらどうでしょう。また、台車かコロをつけて五月の青葉祭りに山車として祇園山笠のように引くのです。(大き過ぎますが)(笑う)きっと政宗公も「ホホー わしよりスケールの大きい伊達な発想じゃな」と言ってくれるでしょう。よろしくです。
終わりに、ケネディ大統領暗殺の中間報告で今回分の資料が整いましたので、ご紹介です。少し長くなります。 残念ながら2017年に前倒しを予定をしていた「2039年公開予定」の米国公文書館の資料は世界中から注目されたにもかかわらず、その年にトランプ大統領の「まだ問題がありそうなので2021年まで延期しょう」となり途中で沙汰やみになりました。 ところがエンターテインメント界ではこのチャンスを見のがすはずもなく、注目の新作がNETFLIXで発表されました。以下プロモーションの引用です。読めばどこかデジャヴュー感もあるはずです。まずはお読みください。 兄は大統領、弟は司法長官として権力の頂点を極めたケネディ兄弟の相次ぐ暗殺。絶大な人気の裏で黒いうわさの絶えなかった労組委員長フッファの失踪・・・・・・。自由と平等を愛する国、チャンスの国アメリカの歴史の裏に潜む、もうひとつの真実とは。 イタリアのシチリア島にルーツを持つ犯罪組織、マフィアがアメリカ合衆国に根を下ろしたのは19世紀末から20世紀初頭といわれる。1920年代の禁酒法下、密輸酒ビジネスで巨大な利益を上げた彼ら「ファミリー」は急速に勢力を拡大し、50年代にはキューバの首都ハバナにラスベガスと肩を並べる一大カジノリゾートを形成するに至る。 59年そんな彼らに悪夢が襲った。カストロによるキューバ革命だ。共産主義政権の樹立は、マフィアの巨大な資金源が奪われることを意味する。到底見逃せない彼らは翌年のアメリカ大統領選で民主党のジョン・F・ケネディの訴える対キューバ強硬策を好意的に受け取り、陰で支援したといわれる。 しかし、当選後のJFKは、亡命キューバ人グループによる祖国への侵攻を支援するはずだったピックズ湾事件で空軍の投入をためらい、作戦を失敗に終わらせる。やがて、キューバは完全に共産主義体制に組み入れられることとなり、マフィアが大いに失望したであろうことは想像に難くない。 第二次大戦後、アメリカでは労働運動が大きな広がりを見せ、大規模なストライキが頻発すりるようになっていた。そのなかで頭角を現したのがジミー・フッファだ。全米の物流を左右するトラック運転手組合のトップに立った彼は、敵対勢力排除にマフィアの力を借りる見返りに、組合の年金資金をマフィアビジネスに融資するなど、黒い交際を深めていった。 そんな彼の前にJFKの実弟である。ロバート・ケネディが立ちはだかる。組織犯罪の撲滅に闘志を燃やす若き司法長官は、ホッファの違法行為とマフィアの癒着を次々に暴き出し、ついに彼を刑務所に送る。だがロバートの強硬なやり方は多くの敵を作り、それがケネディ兄弟の命を縮めることにつながったとする見方も根強い。 収監から4年後。ホッファは組合委員長を辞任することを条件に、ニクソン大統領による特赦で刑期を半分以上残して出所。ホッファは大統領選でニクソンを支援し、選挙資金を組合が出すよう刑務所内から手配していたとされる。失った権力に固執するホッファは、委員長の座に返り咲くためにその後も精力的に動くが、75年のある日、こつぜんと姿を消す。 いまだその行方は知れず、殺害されたかどうかも定かではない。ただひとつ確かなことは、ホッファが舞台を去った後も後任の委員長からマフィアへの資金の流れは続いており、すでにホッファは完全に用済みだったということだ。(引用終わり) ※ニュージャージー州のフットボール球場 ジャイアンツ スタジアムに埋められたと噂されFBIが掘り起こそうとした事もあった。 いかがでしょう、私の『J・F・K ダブル スティツ』をお読みになった事がある方には、なじみの文章ではないでしょうか。そしてケネディ暗殺の真相は先に拙書を読んで下さった皆さまのほうがその証人になって頂けるものと思います。 実はこれは11月27日にネットフリックスが全世界同時配信の新作『THE IRISHMAN DAILY』を朝日新聞に出稿した宣伝コピーの一部を転載したものです。ただし、ここまでの内容ではケネディ暗殺の全貌は五合目です。さらなる真相をご理解頂くため、この次回作は私の作品をシリーズ化するのがベターです。 ネットフリックスさん、続きは「J・F・K ダブル スティツ」で制作してください。 最後に、これで「早筆堂」の面目が立ちました。以上です。これからもよろしくお願いします。

2019年10月23日☆ 令和天皇即位の礼など

昨日はめでたくも新天皇の即位の日でした。 お祝いには191もの各国要人が来日し共に寿いて頂きました。これも戦後の昭和天皇ならびにさきの天皇陛下のたゆみない国際社会への貢献の賜物ようです。 無事に式典が執り行われ天に感謝です。 此処のところ、毎週のように荒れ模様の天候で、更に知り合いの被災もあり、やるせない日々でした。 被害に遭れた方々には心からお見舞い申し上げます。 あの3.11を共に経験しましたが、こう毎日のように災害のニュースに接すると、ある程度想定をしていても、インフラ整備などにおいてはさらに認識を変えざるを得ないかもしれません。 特にこのたびの水害においては堤防の決壊が多発し、予めの対策法としてたとへば自衛隊の特科部隊のさらなる増設、または災害救援体制の充実でしょうか。 例として考えられるのは、河川が反乱し洪水が起きてから土嚢を作るではなく、前もってテトラポットや土嚢を集積して置いて、嵐が小康になったらヘリで現場に運ぶのです。ただし、ヘリコプターは雨天では運用出来ませんので、そのタイムラグをカバーする工夫も必要です。 けして災害からの抜本的な解決法ではありませんが、風が衰え雨があがっても、まだ浪々と住宅地や農地に水が溢れのは忍びないです。弥縫策ではありますが一刻を争う現場には、急いだ分多少の減災効果が有るのではないでしょうか。また、いずれ決壊箇所は応急手当をしなければなりません。 救護には水上バイクやホバークラフト・水陸両用車も使えます。あと、これからの河川堤防を構築するさいには、土手道路のセンター地下に、予め鉄鋼の矢板を打ち込んだのち、両側から土を寄せ盛土してから、石垣なりコンクリートでのり面を養生しましょう。こうすれば「蟻の一穴」も「モグラの穴あけ」も防ぐ事が出来ます。 一方、遊水池が有効という見解もあります。規模にもよるのでは?、と思いますがこちらの意義も、ご一考くだされば幸いです。 あと、令和になって喜ばしい事として、今月初めに旭化成研究所の吉野彰先生がノーベル賞を授賞したことです。テーマは化学賞でリチュームイオン電池の研究でした。これまで技術部門は授賞頻度が低かったのですが 、効率的なリチューム電池がCo2削減で人類の未来に貢献すると判断されたようです。お目出度うございます。 さらに科学的な話題では24日に、グーグルの研究所でいよいよ量子コンピューターが、スパコンの演算速度を超えたというニュースがありました。従来型のスパコンが1万年かかる計算を200秒で終えたと有りました。本当であればこの間、亡くなられた西澤先生に報告ものです。 また、このような歴史的な快挙に生涯二度も遭遇出来たことを天に感謝します。おわりに即位の式典では「一天にわかに晴れ上がり」※ 皇居上空に虹が架かったそうで、天にも祝福されたのでしょうか。この異常とも思われる最近の天候異変に、世界を挙げて取り組む先導者が必要です。両陛下にその希望を託したいとも思います。 ※は誤表現=遠藤周作先生のエピソードから引用です:「一天にわかに掻き曇り」は有り「晴れ上がり」は誤用。 私達も減災やダメージコントロール、そして台風の勢力減衰のための、Co2の再利用でドライアイスや液体炭酸の散布や,ヨウ化銀の散布も有ます。また進路のコントロールには(台風が発生する洋上宇宙に太陽光パネルを置き、発電と人工的に日陰を作る)の発想で知恵を出し合い、技術を上げて明るい未来にしたいと思います。 以上です。

2019年9月8日☆ 阿部監督応援団「寅さんの奥の細道」のこと

本日は阿部監督を囲む初秋のつどいがありました。また、例年のようにジャズフェスともかぶり、なにか、津田団長はジャズフェスに、タイマンを張らなければならないものを持っているようです(笑) そしてここ数年津田さんが連戦連勝中のようです。 そして今回のハイライトはこの12月27日に封切られる松竹の映画『男はつらいよ 50 お帰り寅さん』のプロモーションビデオの素晴らしさでした。 前回も紹介しましたが、この作品のプロモーションには、山田監督の何時になく熱い思い入れがあります。それら20巻のプロモーションビデオを、前回に続き#13から#20までの各8巻を上映して、監督のレクチャーとなりました。 これで前回と併せて全巻を観たわけですが、今回伝えたいのがそのクオリティーの高さと、映画史に残るであろうとの思いです。本編の50本にも及ぶ作品群はもとより、この丁寧な解説ビデオを作ることにより、山田監督と阿部監督は自分達が生み育た子供を見事「立派な成人」に育て上げたと言うことです。 東宝系などでも時々、黒澤監督の特集本を出したりしますが、やはり映像にはかないません「いいものを作ったなぁ」と神に感謝しながら鑑賞をしてきました。 そして監督とは、このプロモーションを台湾や香港にも向けて発信すると、やがてそのファンがインバウンド観光に繋がり、寅さんの舞台やロケ地巡り・聖地巡礼で地方創生や、クールジャパンに役立つことを確認してきました。名付て「寅さんの奥の細道」です。 わたしも当郵映放送で積極的に宣伝したいと話してきました。作品はロングセラーで永久保存版になります。 途中、瀬成田先生から挨拶を頼まれたので、前回約束したアニー・ブゼルの原作原稿が終盤に入り、今年の年末までには、アマゾン・キンドルで出版する予定と、話してきました。小説:『聖なる影 アニー・ブゼル』です。よろしくお願いします。 また、今回も瀬名秀明さんが出席してくれて、前回秘密だった新作を公表してくれました。タイトルは『ブラックジャク』だそうです。ジャンケン抽選で一冊だけでしたが、監督の一高仲間の方が本にサインをしてもらいゲットしました。こちらの作品もよろしくお願いします。
で、ジャズフェスも津田さんに負けじと、益々リキが入って来年が三十周年だそうです。早いものです。幸い天候にも恵まれ、遠来のお客様には面目が立ちました。 ただ、台風の影響で湿度が高いので、太鼓は音出しに苦労したようですが、ホーン系は音がよく響ていました。 あと、三十周年を前に感じたことは、各企業などが積極的、かつ商業ベース的に関わり始めて来たことです。この勢いで、プロを目指すプレイヤーにプラスになることを願うばかりです。 また、聴衆のレベルも上がり、プレイヤーのクオリティー云々も、昔からですが散見され悩ましいところです。 なんせ、第三回目かに愛子の民謡歌手、庄司さんがTBCの協賛で出演して賑わしたイベントです。そのへんの堅いことを言われると私も返す言葉もありません。 まぁ、「暖かい目で、かつ芸事ですから厳しく見守ってください」と言うところです。私はただ音を楽しんでいる感じです、今思えば三十年前に天より「これから更に大スランプの時が訪れるから、この音楽を聴いて慰みにしなさい」と言われた思いでした。それ以来こんなにも慰めて頂き、天と関係各位に感謝してる次第です。 もともと、ジャズはジャム「潰す」で日々理不尽な扱いを受け、毎日、心が潰れる思いをして生きていたニューオリンズの黒人が、たまたま手に入れたトランペットで、楽譜は読めないが、ムシャ クシャした憂さ晴らしにと、正調を潰して即興で吹いたのが始まりです。 だから好きな人は同じような心境の持ち主かも知れないし、嫌いな人にはそれなりに、音の乱れた耳障りなものとしか聞こえません。つまり、ゆるく言えば、その人の経験や遺伝的型質が好みに表れます。私としては、まずは「音楽」で本来的に無限かつ豊かな「音の世界を楽しむ」の趣旨を優先しているところで

2019年8月7日☆ 令和時代クール&ディープな仙台七夕へ

こいよいよ時代も令和に移り仙台の七夕も華やかに幕開けしました。その始まりは400年前に仙台に伊達藩を開府した政宗公以来だそうです。 多少、その時代で規模の違いはあろうけれど、現代まで守ってきたようです。元々は中国の機織さんのお祭りで上品な女性文化です。 男性としては竹を切って来るくらいしか貢献出来ませんが、きっと、お父さんが「可愛い娘のために」なんて言いながら調のえてくれたものと思います。 私も小学時代、先生にいわれ何度も雨の中、自宅から竹を担いで登校した思い出があります。でも、当時、切った生竹を立ててはいけないという不文律がありまして、横にして更に笹を地面に触れさせて汚してもいけないという時代でした。 そして青年期には織姫と彦星のあつかいに不満を持ちました「仲が良すぎるから年に一度しか会えなくする」なんて「余計なお世話だ、ほっといてくれ」(笑う)とです。二人が恋人同士か新婚さんか分らないけれども、そんな邪魔するから少子化に成るんだろうがとです。 そんな事するとまた、アダムとイブの二人だけの世界に戻るではないか。そもそもエデンの園には二人しか居なかったんだぞ。 たいへんな人口不足で人手が足りないので、わざわざ禁断のリンゴまでカジリ「産めよ増やせよ地に満ちよ」とここまで増したんだぞぉ、と怒ってました(笑)まったく、天なる父の心 子知らずです(笑) とは言え、お祭りの伝統を守り婦女子の成長と技能向上を願ったお蔭で、現在の日本は技術立国でもあります。反対にこちらより人口の多いお隣の国では、あまり熱心に七夕祭りをしなかったようで人は増えました。そして欲しがる物も多ので、私達は大量に生産して提供してます。そこに我が国の存在意義があるようです。 そこで、来年の今頃は東京オリンピック中です。ぜひ、このようなトラディショナルな「七夕 ラブストリー」のフェスティバルを,仙台に味わいに来て頂きたいものです。ぜひ工夫を凝らし「おもてなし」をしましょう。 以上、クール&ディープジャパン ストリーとしての誘い(イザナイ)でした。 で、写真は四国の阿波踊り団体の友情出演です。場所は常禅寺通から市民広場にゆく道で、第一生命ビルと亀井ビルの間の表小路です。以前、ある県会議員の方から定禅寺通の活性化策を問われた時、この表小路の第一生命ビルと亀井ビル及び信金ビルを再開発して「ニューヨークのラジオシティ」化を提案しました。 当時はまだ、定禅寺通には「FM仙台」があり、同じく「NHK仙台」が錦町公園に来る前でした。郡さんが市長になり新市役所庁舎建設や周辺の再開発を策定中ですが、いかがでしょうか。参考にして頂ければ幸いです。 そして当時はテレビ中心の「メディアシティ構想」・「地方創生アート構想」でした。 しかし現在なら大勢のユーチューバーもいます。幸いすぐ近くに市民広場・イベント広場があります。従って常時、インスタや映像メディアのニーズがあります。そこで第一生命ビル内にユーチューバーへのレンタルルームとか、市民広場でイベントをする際の、更衣室や控え室があると多くのイベンターが集まりやすくなります。 さらに定禅寺通と二番町通の(三越の反対側)角に大型イベントホールを作り、地下鉄通路で結び、冬場のシティ観光の目玉「映画祭」などを誘致すると寒さを気にせず、お客様が活動出来て、冬場2月頃の一番町への集客に寄与出来ます。 名付て「一番町・定禅寺通メディアシティ構想」です。どうぞよろしくご考察ください。 地方創生 PR : 石巻リボンアート

2019年7月7日☆ 国際ILCと令和DeepJapan歌集のこと

いよいよ7月7日で8月8日までの七夕の期間となりました。わたしは毎年7日をめどにシャツを半袖にする準備をします。自分ながらの衣替えです。 また、両Tさんお誕生日おめでとうございます。つつがなくお過ごしのことと存じます。今度また、あの笑顔を見せて下さい。楽しみにしております。 さて、5日の河北新報に3Aという記事が載ってましたのでご照会致します。「国際ILC」推進関連でこのような力を入れてるようです。地元の熱意が政府にも伝わっているものと思います。 もとより、3・11のリカバリーは復旧ではなく復興で行こうと、ここまで努力して参りました。 さらに産業経済でいえば世はまさに第四次産業革命で動いています。被災地で言えば旧態的発想の復旧ならばその時期は過ぎつつあります。 これからは良質な定着人口を着実に増やさなければならない、本格的な復興発展の足掛かりを築く段階に来ました。それには地元の優位な食品加工販売産業や、特徴ある観光地としてのポテンシャルを活し、さらに多くの先端産業や研究施設のインフラ導入が三陸地方には必要です。それらをゲットするチャンスが目前まできました。 確実な復興を勝ち取るまであと一歩です。これからも粘り強く挑んで行きましょう。関係各位の熱意が多くの方々に広く深く伝わるようお祈りします。私も文化面で復興を盛り上げようと「令和Deep Japan歌集」コーナーで万葉集などの歴史を通じて諸外国の方々に「深い日本」をご理解頂きたく歌会を開設しました。 ◎ ここで一首: 新(あら)たまの 統率(すめろぎ)の御代(みよ) 至りきぬ 令和の春も ともに巡りて ※ さらに6日に仁徳天皇陵など百舌鳥古墳群が世界遺産に決定致しました。おめでとうございます。 ※ 新たにクールジャパンのプラットフォームも立ち上げました。こちらもよろしくお願いいたします。 追伸:18日生まれのE様おめでとうございます。映画の話しも郵政の話しも面白くなってきたでしょう。最初の構想通りいきます。乞うご期待です。30日生まれの某D通の帝王様おめでとうございます。また、先日は大変お世話になりました。話しは順調です。今後が楽しみです。では、またです。

2019年6月18日☆ 梅雨のことなど

今年の梅雨は例年と違い空梅雨のようですね。じつは梅雨が大の苦手で、毎年「何とかならんもんかなぁ」と嘆きつつ過ごしています。 梅雨の一番の思い出はやはり歌中のころなんですが、朝、雨とわかるとそれはそれは憂鬱なものでした。なんせ、雨の中4kmの道のりを自転車で行くわけですからね。 みんな条件は同じですが、結構、悲惨な思い出もあるのです(笑う) 一年生の時、ある日、とてもひどい雨で、今朝は自転車ではとても無理となり、バス停に行くと馬場の猛者連が五六人待ってました。すると知り合いの工事用のダンプカーが通り、乗せてくれるというのです、バスは半端無く混むので大喜びで、雨も一時小降りになってきたので天蓋もない荷台に乗りました。 すると、ひとつ先輩で、かつ私の「グローバル理論」のモデルのカツロウ君が、やおら傘を広げだしたのです。私は「おいおい、先輩それはないぜよ、目に危ないでしょうが」と注意したんですが、あのカツロウ兄ニィです。聞くわけないです(笑) ダンプが中山のバス停のT字路を左に曲がったあたりからスピードを出して、さらに誰かが「怪傑ハリマオ」を歌いだし、風雨のなか賑やかなもんです。ところが中西のカーブの所で対向車をかわそうと左に寄りすぎ、さらに急ブレーキを掛け停止したので同時に車が路肩から転がり、2m下に落ちて全員水田に投げ出されました。 幸い私はタイヤがズズッと鳴り、ブレーキ共に車体がグラッと左に傾き一瞬ワッと「暗くなったな」と思ったらなぜか土手の草むらに転がされて一人だけ無事でした。まるでダンプが横倒しに転がりながら荷物を下ろした感じでした。そして被害状況は鞄にすこし泥がついて教科書の一部が濡れていました。ただし皆は泥だらけです。 私がこのまま学校に行くというと「お前だけー」みたいな、雰囲気もありましたが・・・ほかの人はそのまま登校を断念しました。 それでも、這う這うの体で教室にたどり着くと、すでに朝のホームルームは始まっており、大森先生に遅れた理由を話さなければなりません。しかし、その時わたしは少し興奮してたようで「遅刻したため遅れました」と言うと先生は一瞬私の顔を見て、ただ「うん」と言っただけで何も訊かないのです。 反面、わたしは経緯をきちんと説明出来なかったのに、「あれっ」と思いました。 それで、叱られなかったのが不思議でしょうがありませんでしたが、あとで聞くとすでに事故の顛末は学校に連絡が行ってたとの事でした。それにしても「チコクシタタメオクレマシタ」は自分ながら相当の謎言で当時から作家しての片鱗があったようです。また、それを聞いて「うん」としか言わない大森先生も超大物でしたね(笑) この頃に流行ってた歌は3月には三沢あけみが来て、誰かさんの十八番の笹みどりの歌謡ショーが、同じく屋体であったのは三年生の秋でした。また、ビートルズが初来日したのもこの年の梅雨時でした。そしてタイガースのモナリザの微笑が次の年の梅雨時です。 話しは変わり16日に所用があり上京しました。写真は先日トランプ大統領が訪れた皇居前広場です。宿が竹橋なので、桜田門をくぐり半蔵門線に至るために広場を横切りました。途中ベンチで一休みすると梅雨なのに青空と雲の白さがコントラストしていたのでパチリといきました。 多くのジョギング者が行き交います。ベンチから二重橋前、竹橋方面をみると三十年ほど前は一番高層だった旧東京海上の赤レンガ風のビルはすでに、他に追越され中高層という感じで時代を感じました。当時は皇居前のビルはここが一番高く、皇居内が丸見えで、昭和天皇の日常が覗かれて、失礼ではないかとか問題になりました。 そしてこの間トランプ大統領も宿った皇居前のパレスホテルもリニューアルと増築して綺麗になってました。そして自分もやがて「ここを定宿にしたいなぁ」と思いました。竹橋は同じアジア系の人が多くなり落ち着かなくなったからです。これも時代の流れか? 最近、近隣国の振る舞いを見ると福沢諭吉の『脱亜論』の気分ですね。 市ヶ谷から新宿に出て、久しぶりに小海線に乗り佐久平を経て、チープな信州半周をして帰ってきました。

2019年5月6日☆ 気仙沼聖書第一パプティスト教会のことの逍遥記

昨日は5月5日で全国的な日本晴れでしたね。令和時代の最初の「こどもの日」が天に祝福されて、未來を担う子供達にはささやかなプレゼントになったようです。 それで、今進めている脚本のため、気仙沼第一聖書パプテスト教会に行って来ました。 と言うのも物語を構成するのに、時代背景を考慮しなければならぬのですが、やはり明治時代の教会のことなので不明な点が2〜3あり牧師の峯岸先生に教えを乞うてきました。 そして先生の丁寧な説明にすべての疑問が解けて、続けて教会員の皆さまと日曜礼拝も受けてきました。その時も祭壇の後ろの十字架が五月晴れの陽光に輝いていました。まさにハレルヤでした。 あと、峯岸牧師ご夫妻に私の荒砥にいる母に慰問のことをお願いして、長年の苦悩を少し和らげて頂きました。きっと母もわかってくれるでしょう。 さらに天気も良いので、陽気にさそわれ教会のあたりを逍遙して来ました。津波の時、この地域が無事だったことに「天のめぐみで幸いだったんだなぁ」と実感していたので、海岸線まで行ってみたかったのです。教会の前の横断歩道を渡りすぐ海に向うルートです。道は工事中ですが周りの風情を楽しみながらの散策となりました。 途中、新しく出来た「JR岩月駅」の所で犬と散歩中のおじさんに会ったので、新駅の感想を訊いてみました。すると「そんな鉄道でもないBRTなんて、元々、国道45線にも宮交バスが走ってるのに誰が乗るかぁ」と、すごい勢いの「気仙沼ナショナリズム」全開のレクチャーを受け、久しぶりの驚きと可笑しみを感じました。 それで「村井君もこのナショナリズムに気づかずに、等閑に付してしまい後で怒りを買ったんだよなぁ」と可笑しくなりました。「気仙沼イズムは何年たっても健在なんだなぁ」とあらためて思いました。 浜辺に降りかかると目の前には「緑の真珠 大島」が美しくひかり輝いていました。森高千里の歌『渡良瀬橋』※の♪「きれいなとこで育ったね」♪という歌詞が浮かんで来て、誰かさんの「日常の風景だったんだぁ」と思うと、うれしくもなりました。 ◎ いずれ、ここは鉄路が復活したなら江ノ電の「鎌倉高校前駅」と並ぶ写真スポットになります。 ※また♪「床屋の角にポツンとある公衆電話覚えてますか」♪覚えてますよ。今は無くなりましたが美容院の前あたりに電話ボックスがあって、そこから電話をくれて「ギャラが足りなくなりそうで焦った」というエピソードを、思い出し笑いしながら書いた手紙を頂いたので、車でここを通るたびに当時が甦り、嬉しかったのです。 やがて浜に降りると、もう巨大なコンクリートの防潮壁が完成していて、自分の発案とは言え少し寂し気持ちになりました。生業のためとは言いながら、やはり自然を変えるのは些か心侘びます。たぶん、誰かさんも幼いころ夏にはこの浜辺で泳いだろうから、せめてその原風景が残っている内に来てあげたかったなぁと思いました。 ちょうど船入江に三人の地元の女子高生がいたので、むかしの砂浜はどのあたりか訊ねると「ここの右手、南側に少しあった」とのことです。時間だけが無情に過ぎていくようです。その時間の経過で今、あの震災をもとに映像化したいテーマがあり、進めているところです。 当初は余りにも生々しく遠慮していました。しかし、「リアル過ぎて、きっと、描き切れないだろうなぁ」と思ってた映画「タイタニック」でも見事に画き、むしろいまでは、共感や支持を得ており、また、作って残すことがあの震災に遭った者の使命か?、とも思っています。 ◎ただ、そこには当然、個人情報もあり「自分が登場人物のモデルなんてイヤだ」とか言われるかと思いますが、ぜひ、ご理解頂くと嬉しいです。震災の風化を思い、皆さんの冷静で勇敢だったエピソードを、メモリアルな映像物語にしたいのです。あわせて皆様の協力もお願いします。 この日、朝早く出たので途中、野田で時間調整に、むかし、ヒデの元カノだった旧姓K.Oさんが某所にいると、旧姓T.Kさんに教わっていたので行ってみました。なんせ、この間、二回も空振りで会えませんでした。その度に「午後1時までなので帰りました」と告げられて,わたしも名乗ることもなく、残念となってました。 今回も「どうかなぁ」と冷やかし半分でしたが、なんと、前回の経緯が、皆に伝わってたようで、即座に呼び出してくれて「気仙沼ゴシップ恐るべし」です。でも、自分とは気づかぬだろうと「歌津の三浦○雄です」とボケて名乗ったのですが、見違えられる事もなくすぐバレました。そして懐かしい話しとなりました。 ※本当は遠くからそっと、その後の青春を確認したかったのです。それがつい大げさな対面となりました(笑) 彼女は当時から小柄で美人でしたが、そのまま変わらずで、かつノリも良く、ヒデをネタに楽しく盛り上がりました。また作家の取材魂と学者の探究心満載で、その頃、カルメン・マキに似ていると噂のお姉さんもいて、その後どのように青春を過ごしたのかも気になっていました。すると今は名古屋いるとの事でした。 かつてのファンの方々への報告でした(笑) という訳でK.Oさん、有難うございました。これからもお元気にお過ごし下さい。また、時間があったら寄ります。以上、この連休後半の逍遙記でした。 追伸:5月26日は京子さんと共に誕生日です。そして27日が伊藤さんとマゴの誕生日です。おめでとう御座います。また先日は気仙沼で伊藤さんにお世話になりました。プラザホテルは震災後のかさ上げ工事で、入り口が不明となり確認の意味もありました。そして帰り際に伊藤さんの兄上に会うことが出来て良かったです。 兄上にお会いしたのは何年ぶりでしょう? 以前は同じ郵政の職員でした。今は阿部長の専務で気仙沼・志津川の 統括者で、数年前まで私の兄が志津川の工場の責任者だったので大分お世話になりました。そんな話を三人でして旧交を温めてきました。もとを正すとお互い母方のルーツが同じですが、歌中時代は気づかずでした(笑)   そんなこんなで我ら二人、最強のコンビが歌中で出会ったのは奇しき縁でした。それを証明するように今日明日のこの驚くばかりの好天気です。おまけにアメリカからトランプ大統領夫妻まで、お祝いに駆けつけてくださり光栄の行ったり来たりです。日本国政府は大統領ご一行に丁重なおもてなしをして頂くよう希望致します。了

2019年4月1日☆ 新元号のこと思いつくままの逍遥記

中村草田男に「降る雪や明治は遠くなりにけり」とありましたが、ついに平成も終わりかけ「昭和も遠くなるのかなぁ」という思いです。 写真はかつて仙台市内を走り昭和51年に市電廃止と共に第二の活躍場を長崎市に移した、市電117号の最期の雄姿です。 この車両を見て懐かしくなる方も大勢いらしゃるかと思いますが、その長崎での活躍も先月30日で終わったようです。ご苦労様でした。 当時この117という番号は「いすゝず117クーペ」という名車を連想させて車好きの若者のあいだで人気の車両でした。 市電乗り場でこの117が来ると何かしら「おっ、ラッキー」となったものでした。ただ長崎ではゆえあって1051と車番は変りました。わたしも次の年かに長崎行った時、再会して嬉しくなった記憶があります。 今回の改元の特徴は言われているように出典の違いにあるようです。元々は中国の易経や論語などの漢籍の古典から縁起のよい漢字を選び並べていました。なぜ慶語かと言うと「治国平定・天下泰平」で国難となるような災い事が起きないようにと驗(ゲン)を担いで祈ったからです。これは現在も同じです。 では、なぜ年号が必要かというとコヨミを制定するためです。第一義的には宮廷行事の予定を書き込むためでした。次に年貢の納め時やイクサの時に地方の兵士を召集するため「何年何月何日までにどこそこに集合せよ」と勅令を発するのに時制の一致が不可欠だったからです。そして民衆的には種蒔きの準備などで暦が必要です。 そのため中国では「土地を治め 時を告げるのは雄鶏の仕事」ということで皇帝が制定していました。日本では奈良時代あたりまで中国との国交のため百済暦*1というカレンダーを使っていましたが、大化の改新の前あたりから陰陽寮が出来て独自の和暦になったようです。しかし漢籍からの引用は現代まで踏襲したようです。 *1:百済暦とは当時、朝鮮半島の楽浪郡や帯方郡・玄菟郡・臨屯郡などの四郡は、中国の秦の始皇帝の孫達(前漢の武帝)が設置し地方役人として治めていましたが、西暦239年に倭国の卑弥呼が遣いをし土地は日本の領土でした。そのため外交的に毎年・新年の朝賀に使節が中国まで出向ていました。(今の大使館業務と同じ) 後に(西暦313年には百済領となり3〜6世紀まで任邦日本府を置いた)それで朝鮮は中国の柵封下にあり、時制が同じコヨミだった百済暦が参考として必要だったのです。また、百済王・新羅王の長男を日本語を学ばせるため人質※として保護していた。(彼らと後の百済からの亡命者が色々な物を日本に伝え多少その文物が残った) ※百済の王子・豊璋などでその弟善光または(禅廣)は亡命して後に「百済の小錦」を受爵し割りと厚遇された。 帰化した弟の善光王は日本にハチミツの採集技術「養蜂」を伝えたと言われる。桓武天皇の母親「高野新笠」はこの眷属(秦の河勝・弓月の君)で京都の太秦から出てると思われる。これが桓武平氏の始祖とされる。 のち663年に百済の支配下にあった新羅が反乱をおこし「白村江の戦い」になりました。日本は援軍を送りましたが挽回出来ず引き揚げました。これを機会に半島にあった権益を手放しました。 日本はこの戦争を契機にそれまで奈良・近畿地方を中心の国柄でしたが、新羅と中国軍の来襲を恐れて、筑紫に水城を築いたり太宰府に防人を置いたりしました。また関東および東北地方を開拓するなどの国力を拡大するため、律令制の制定を行い本格的な貴族・宮廷官僚の制度を導入しました。 それら中央集権のため日本独自の元号・暦を作り多賀城など各国府に配布しました。こうして初めての一応の統一国家の国柄が形作られました。ちなみにこの度の出典の「万葉集」が成立したのもこの前後です。そのために「防人の歌」などの東国訛りの和歌*Ⅱも選ばれています。防人の歌はもの悲しくも*Ⅲ味わい深い歌です。 *Ⅱ:入間道の大家が原のいわいえづら引かばぬるぬる我に絶えそね (東歌) *Ⅲ:唐衣裾に取り付き泣く子らを置きてぞ来のや母なしにして (他田舎人の大嶋)防人など。 さらに国書の万葉集から「令和」の元号を制定した安倍首相の先祖が平安朝の陰陽師「安倍の晴明」です。コヨミ作りはすでに飛鳥時代に聖徳太子が派遣した遣隋使などが陰陽道を学んで来たので、国内でも陰陽寮と占いを司る天文台を置いたりしました。 その総理が中国振りの漢籍ではなく国書の万葉集から選ぶのは、なにかくしき縁(えにし)を感じます。なんでも日本風にアレンジして、良いものを世界に提供しなければならないこの国の使命でしょうか。
最後に、新たまの春と梅の開花を寿ぐ作品集の序文*Ⅳの典拠の後半「梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」を私流に読み下せば「梅花の宴に出る女官達は鏡の前で白粉のお化粧をし 貴公子達は腰帯に蘭の香りのする匂袋を薫らせて」参加した梅の花見の様子を詠んで初春の訪れを寿(ことほぐ)とても風流な序文ですね。 ◎現在の春の園遊会につながるのでしょうか。雅(ミヤビ)な春のお花見だったようです。 *Ⅳ:前文の「新春令月 気淑風和」は中国の後漢の詩人張衡(78〜139年)の『帰田賦』の中の「仲春令月 時和気清」の古典から引いた可能性ありとか、後半部分の梅の花見に関しては太宰帥だった大伴旅人が当地で実際に催した「梅花の宴」の情景を序文に詠んだようです。(後半部分は三浦氏オリジナルの見解です)(笑う) 新元号が万葉集第五巻「梅花」の序文のように驗(ゲン)の良い「令和」な時代でありますようお祈り致します。 ◎万葉集や平安朝の雅(ミヤビ)のことなら拙書「風に吹かれて」を参考になさることをお薦めします。そしてこれから誰も知らない万葉集の謎などを語っていきましよう(笑)まず「万葉」や「歌枕」とは何ぞやからです。 乞うご期待。

2019年3月1日☆ 映画『あの日のオルガン』上映期間延長のお報せ

先月に封切りになった映画『あの日のオルガン』劇場版の上映期間が3月20日まで延長される事に決定しましたので、早速お知らせ致します。 この期間、当コスモス企画・郵映放送でも一押しの宣伝・プロモーションなので「喜びもひとしお」です。ぜひこれから春休みとも重なりますので、観ていただくと幸甚です。 私も封切を長町MOVIX仙台で朝イチに観ました。思った以上の観客数に手応を感じ、天に感謝して昼はモール内の「さぼてん」でトン勝を食べて来ました(笑) 本日は「日本アカデミー賞」も決定し益々コンテンツ産業が伸長して参りました。嬉しい事です。さらにクール・ジャパン、地方創生に弾みがつきます。 市場はアジア近辺・中国そしてヨーロッパへと向かい、ぜひ、ハリウッドに到達するのが目標です(笑) 今後ともご理解を賜り、気長にお付き合い下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。 追伸:3月14日現在、上映期間が3月28日まで再延長になりましたので、喜びとともにお知らせ致します。 私もコンテンツ ビジネスの前途を祝して頂き、驗(ゲン)が良ったので「こいつぁ春から縁起がいいわえ」と、また「さぼてん」に行き、今度は勝丼にしょうかと思ってます(笑)

2019年2月10日☆ 恒例 阿部勉監督応援団新年会

なんでもテレビ東京で毎週シリーズで放映されてますが、山田監督から物語のキャプション映像を精緻に作成してほしいとの要望がり、監督自ら制作したそうです。 これを10分物ビデオ8本に分けて上映し、その後監督のレクチャーという形で進められました。津田団長名付けて「映画論高座」だそうです。 昨日は恒例の阿部監督応援団の新年会でした。 写真は監督が企画制作した、男はつらいよ50周年記念「寅さんと50年」というタイトル番組のキャプションです。前回監督が明かせなかった作品の内容です。 最終は20章まで作る結構大掛かりな物です。やはり撮影の苦労もあったそうですが、これが後にアーカイブとなる時には必須のアイテムになります。中国やアジア各国・全世界に提供されるときにも、無くてはならない、作品案内、導入部になります。「さすが松竹の丁寧な映像戦略」と思いシカと観てまいりました。 さらに今回のハイライトは、NHK記者・バルテンさんの久々の出席で、皆「あのスターは誰」と色めきだち、華やかさを添えてくれました。 また、わたしの前のテーブルには作家の「瀬名英明」さんがいて、久しぶりにお会いしました。近々、新作を出すそうですが、「タイトルは?」と尋ねると「まだ秘密」とのことでした。そして本人はダイエットし過ぎた、と話してましたが十分お元気そうでした。 最後に監督から新作についても熱く語っていただき、私も引続き脚本を書き進めることになりました。ちなみに地方創生の一環で仙台城のお堀・五色沼や富谷市の内ヶ崎別庭園、さらには気仙沼のパプテスト教会でロケが出来たらなぁと思ってます。

2019年1月1日☆ 新たな「高度情報化社会」に向かって

明けまして御めでとうございます。 今年も皆様にとりまして健やかでより良い歳でありますようお祈り致すます。 写真は今年2月22日に全国封切りの「あの日のオルガン」です。まだ、前売りもあります。ぜひ、お楽しください。 そしてうれしい話題として、W 主役のうちのひとり戸田恵梨香さんが、NHKの朝ドラ(秋から)の主役に選ばれたそうです。そちらの活躍も楽しみです。エールを送ります。 さて、当コスモス企画・郵映放送も予言どうり今年当たりから活動期に入りたいと思います。やはり、あの3・11から数年間、自分だけ前に進むもなにか思い、こんな時はみんなと同じ気持ちで、と思っていました。長い潜伏期間でした。 そんなこんなでようやく初期の目標であるコンテンツビジネスも動き始めました。その第一弾が映画「あの日のオルガン」のプロモーションです。よろしくお願いします。 そして新たな「高度情報化社会」に向かって、いよいよコンピュータ社会も次の「量子コンピュータ」の出現が取り沙汰されて来ました(決して猟師コンピュータ)ではありません(笑) そんな中、地方創生やクールジャパンをより活性化させるため、当郵映放送を起爆剤にし各地の産業振興をはかって行きたいと思います。そのためにもネットの可能性を最大限に活かし、既存の流通網や生産の基盤である郵便局・農協・漁協等を再度、地域の生き残りをかけて発展の基軸に据えたい所です(ふるさと納税ゆうパック) そして、これから進むであろう更なる「高度情報化社会」を供に乗り切れるようサポートして行きたいと思います。地方が生き延びるためにも「永遠のテーマ」です。ご理解ほどをよろしくお願い申し上げます。
最後に、新たまの春と梅の開花を寿ぐ作品集の序文*Ⅳの典拠の後半「梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」を私流に読み下せば「梅花の宴に出る女官達は鏡の前で白粉のお化粧をし 貴公子達は腰帯に蘭の香りのする匂袋を薫らせて」参加した梅の花見の様子を詠んで初春の訪れを寿(ことほぐ)とても風流な序文ですね。 ◎現在の春の園遊会につながるのでしょうか。雅(ミヤビ)な春のお花見だったようです。 *Ⅳ:前文の「新春令月 気淑風和」は中国の後漢の詩人張衡(78〜139年)の『帰田賦』の中の「仲春令月 時和気清」の古典から引いた可能性ありとか、後半部分の梅の花見に関しては太宰帥だった大伴旅人が当地で実際に催した「梅花の宴」の情景を序文に詠んだようです。(後半部分は三浦氏オリジナルの見解です)(笑う) 新元号が万葉集第五巻「梅花」の序文のように驗(ゲン)の良い「令和」な時代でありますようお祈り致します。 ◎万葉集や平安朝の雅(ミヤビ)のことなら拙書「風に吹かれて」を参考になさることをお薦めします。そしてこれから誰も知らない万葉集の謎などを語っていきましよう(笑)まず「万葉」や「歌枕」とは何ぞやからです。 乞うご期待。

2018年12月24日☆ 新たな歳に向かって

今年もあとわずか、いよいよ新年に向かう準備も追い込みの時期となりました。 振り返れば多難な歳でもありました。自分のことで言えば「自重しなければならない」と決めて、ほぼ活動停止の状態の、三年間の最後の歳でしたがなんとか無事に過ぎそうです。(嵐を避けて凪を待つ) まずは静かに見守って頂いた皆様に感謝です。 そして、写真は恒例になった市民広場のスケートリンクの様子です。今年は偶然シネマ東北さんの映画「あの日のオルガン」のプロモーションも引き受けることになり、後半はひさびさに生気を取り戻しました。 また、その流れで次回作の脚本も試みることになり、その中で仙台発祥のスケートも盛り込んでみました。無事、企画が通れば皆さんに「あっ」と言って頂けるのではないかと思っております。 その他にも見所を加えて提供出来れば幸甚です。
次に 今月16日に故西澤先生の「追悼の会」がウェスティン ホテルであり出席しました。 先生の功績は私があえてここで述べるまでもないですが、先生と同時代を生きられただけでも光栄でした。おまけに町内会も隣で米ヶ袋です。私の散歩コースでもあります。 ちょうど私の職場が一番町に近いので旧丸善一番町店でよくお見かけしました。先生も研究室が片平キャンパス時代なのでまだ若くて有名になる前です。 当時学会ではもう偉人でしたが、マスコミもその意味に気付かない頃でした。いつものように私が昼休みに本を探しに行ったり、さらに帰りに立ち読みや書籍を買うために丸善に寄ると、あの大きな目でよく本棚を睨んでいました。「きっと先生の学生時代からの習慣なんだろうなぁ」と思っておりました。 いずれ私も修士はトンペイに行こうと思っていたので、学部は違いますが先生の著書も良く読んで、研究者としての心構えなども勉強させて頂きました。そのお陰で日本での研究と英国などの研究先進国とのレベルの違いなども把握出来たので、自分の研究者生活においても大いなる自信を持って挑むことが出来ました。 大森先生とはぶつかりながらも研究の基礎を教えて頂きましたが、西澤先生からは少し離れた所から書籍と「門前の小僧習わぬ経を読む」で、その研究手法を独学で身に付けさせて頂たなぁとの思いでした。また、大森先生の時と違って、叱られない分得をした気分でした(笑)。西澤先生もお弟子さんには大部厳しかったそうです。 また、いま現在自由にパソコンを操れるのもこの時の密かな自主研究の賜物です。職場に本格的にパソコンが入って来たのは平成の初め頃ですが、当初はとても使い物にならず、等閑に付して触りませんでした。若いひとはなんだパソコンも触れないのかと思ってたようでが、私にすれば余りにも稚拙だったからです。 その動かないパソコンとニラメッコ(固まって)しているピーポーを見て原因を尋ねるのですが、誰も答えられないのです。呆れました。何の事はない当時は通信速度が遅いのに、やたらクリックをしてコマンドーを送ると、データが重なり処理仕切れず固まっただけなのです。基礎が分からないとこう言う事なんだなぁと思いました。 そしてマイクロソフトがウィンドウズ95を出した頃、これは使えるかなと思い98ノートから使い始めました。それでも初めは求めるレベルではなく我慢して使うという感じでした。その電子コンピュータ時代も終わり、これからは量子コンピュータの時代に入るのだそうです。 すると現行コンピュータはオールドコンピュータと呼ばれるのだそうです。なにやら西澤先生の他界と共にコンピュータも第一世代の終焉を向かえ、新たな時代が来るようです。その量子コンピュータについては、来年以降に触れる事になります。 先生の功績を追いかけ「高度情報化社会」を乗り切る事が出来ました*感謝申し上げます。 *単なる、タイプライター・電卓・黒電話をパソコンやスマホに替えたのは、90%先生の発明発見でした。 あわせて、先生のご冥福を祈りつつ、新たな歳に向かって行きたいと思ってる次第です。 では、皆様も来年こそはもっと「良いお歳を」です

2018年11月16日☆ (書)諸陵部のこと

今回は多少堅めの古墳の事です。あの学校で習った古墳時代の話です。退屈な話と思わずお付き合いください。 いよいよ平成の御代も末まで来て、これまで頑なに閉じていた陵墓の一部が学術調査しても良いことになったようです。 これも今上陛下のお陰かと思われます。宮内庁には歴代の天皇のお墓を管理している「書陵部」という部所があります。 この中には初代天皇と言われる神武天皇陵や卑弥呼の墓ではないかと言われる箸墓古墳もあります。 これらの墳墓は代々、厳重な管理のもとに置かれ、その内部はおろか、その製作課程や存在意義さえも不明です。それをこの度、自然崩壊や天変地異による破損の具合の調査をかねながら一部の発掘をはじめました。 そこで今回話題にしたのは古墳とは何かという話です。だれも書いたひとがいませんので格好のテーマかと思い、長年調べてきたものを記して置きたいと思います。 結論から先にいうと、やはり「お墓」でそのルーツは秦の始皇帝の(兵馬俑)や、エジプトのピラミッド、さらにはメソポタミアの遺跡にも遡る「被葬者の冥界での生活を維持するため」と考えたインフラです。また、遺された者や子孫が行う先祖供養、現世利益のための祭り場、及びその施設です。前方後円墳 なので発掘すると必ず、おびただしい数の埴輪が出土します。何故ならばこれは古くからある権力者、皇帝などの埋葬習慣を踏襲したからです。例えば中国の兵馬俑なども秦の始皇帝が生前に暮らしていた生活様式を、そのまま地下宮殿として再現してるからです。「死んであの世に行っても日常生活に困らぬように」だそうです。 参考:前方後円墳とは 前が角形で後ろが円形の墓のこと そして先祖供養とは現在も変わりませんが、子孫達はそんな偉大な先祖が持つ力を「我に与えたまえ」と祈るのだそうです。特に権力者の家柄では代替わりするときには「践祚の祭り」*という事をしなければなりません。その際は後円部分の一番高い所に、祭壇を築き天に向かって詔を述べる「封禅」**という儀式を行ないます。 ◎ 封禅というのは、天には天帝がいて、天と地を治めているので、新たに全地上の支配者になった者は、その土地を(封)治める権限を天帝から(禅)譲り受ける儀式です。おびただしい供え物や生け贄、献上品が必用です。 現在も家を建てるさいや土木工事でも、四方に〆縄を張り神主さんが祝詞を挙げる地鎮祭がその名残です。 ◎ 相撲で横綱の土俵入りの「四股を踏む」も「醜股を踏む」でその土地の邪気を封じ込める同じ地鎮の祭りで、すでにピラミッドのリレーフにあります。決してモンゴル発祥でもなんでもありません。むしろ、日本の古墳からも多少素朴ですが力士像の埴輪が出るはずです。 ですから、八百長互助会を作ろうと貴乃花親方を辞めさせてはあかんでしょう。ガチンコで勝負をしないと邪気が蔓延って地震や津波に負けまっせ。それでは堕落した天使をのさばらす事になり、やがて神聖なスポーツでなくなります。 *践祚「センソ」と読みます。 **秦の始皇帝も山東の泰山で行うとしたが、この時期にはすでにその儀式の様式も廃れてしまって、誰もやり方が分からなかったと言われています。泰山とは、あの「泰山鳴動してネコ一匹踏んじゃった」とかいう泰山です。山東半島がある山東省にあります。 そしてエジプトのファラオも同じような践祚式を行っていました。メソポタミア時代からある権力交代時の決まり事でずっと踏襲してたようです。むしろ、しないと何か災いが起きて不慮の政変が起きるとか信じられていたようです。これが現世利益のためのお祈りです。 ちなみに1970年代に兵馬俑が発見されたとき、その出土した兵士達の顔が一体ごとに違うと不思議がれました。その時、私は「それぞれの兵士の像に実在のモデルが居たから」と唱えました。今ではその説が通説のようです。その内に始皇帝の家臣団・重臣の埴輪なども出土するのではないか期待しているところです。 来年五月には本朝でも改元となります。その際テレビ等でも「践祚大嘗祭」の様子が見られます。多少でも意味が分かると楽しみが増えるではないでしょうか。以上です。
あと25日に川内の国際会館で「仙台市新総合計画」の会合もあり出席しました。郡和子市長や村上議員もいて仙台市の未来構想・地方創生のためにも新産業構築に(若林区をバイオ サイエンスの研究拠点にする)などを長時間かけて検討してきました。ぜひ、提言が生かされることを期待しています。◎AIを活用した六次産業化など

2018年10月13日☆ 岡林さんのことなど

昨日の河北新報に岡林さんが登場してました。なんでも「フォークの神様50年」の記念アルバムを出すのだそうです。イャーお元気そうで嬉しかったですね。 デビュー当時の「山谷ブルース」から2012年の「さよならのひとつ」まで12曲収録しているそうです。 その他にもこれまでの活動状況もあり愉しい限りです。その中の2〜3のハイライトを写します。 『神様だった期間は短い。人気絶頂の69年に出奔。翌年「ぱっぴいえんど」をバックにロックに転向したが、程なく農業に目覚めて山村に生きる場所を求めた。現在も京都で畑を耕しながら「時々、都会に出て歌う」生活を続ける。 その背景には、神格化されることに違和感があった。「ええことばかり言われると調子に乗ってしまう。でも農業は違う。誰が種をまいても、ちゃんと世話をしないと実らない。畑で、自分のちっぽけさを再確認している」 7月、72歳に。「50年、音楽をやってきて分かったことは『歌というものは、深すぎてわからん』ということ。表現スタイルを変えるごとにファンが去って行った。でもいろんな『岡林』に会えて、俺は幸せだなぁ」。さらに新しい自分に出会うのを、これからも楽しみにしている。』と結んでいます。 ◎ 私は途中の「表現スタイルを変えるごとにファンが去って行った」の所で午前中いっぱい笑っていました。神に選ばれた岡林さんの心情がよく伝わったからです。このことは何時か書くときが有るかもしれません。 というのも私自身も岡林さんを知るきっかけを記して置きたいと思ってますが、ある人の「これって個人情報だよね」との制約もあり、ためらっております。いつかクリアされたら書きましょう。 ◯ 唐突だった10月17日の沢田研二さんのドタキャンも岡林さんと同じ気持ちでしょう。 あと、シネマ東北企画制作の『あの日のオルガン』についても書きます。
10月20日に「あの日のオルガン」の先行試写会が、旭ヶ丘の日立システムホールであり参加しました。この作品を企画したのは、シネマ東北の鳥居さんでした。 原作を知ったのは三十数年前だそうですが、決して古いテーマではなく永遠に朽ちない内容です。 また、当時も今も為政者にとっては触れてほしくない過去です。しかし、いずれ誰かが真相を伝えなければならない物語でもあります。かりに今後に同じシチェーションの大都市災害時でも事前にシュミレーションが必用です。 ストーリーは終戦を遡ること1年4ヶ月前、学童疎開が始まった頃、とても信じ難い話ですが保育園児の疎開の話です。もしこの話が現代なら尚更に無理で、本当の日本人の強さを後世に残してくれました。 ちなみに主人公はすべて女性の保母さんです。あの戦争を若い保母さん達の実像そのもので撮ってくれました。私から見て映画史に残る傑作です。一度観たら忘れられない作品です。 なにか「アニー・ブゼルと吉野作造の物語」に続く作品と感じてきました。 追伸:10月21日に東北大学の西澤潤一先生がお亡くなりになってたそうです。残念です。ご冥福をお祈りします。なんとかノーベル賞まで頑張って頂きたかったです。 受賞については2〜3の話は聞いていましたが、光通信がこれだけ世界の未來を方向付けてくれたので、そろそろ技術としてだけではなく、大きく言えば人類の未來を導く科学としても理解されるのではないかと思ってました。後に続く者達のためにも、ノーベル委員会様、この分野の検討もお願いします。

2018年9月10日☆ 阿部監督応援団の集まりこと

昨日はこの夏の阿部監督応援団の集まりがあり盛り上がって来ました。 また、恒例のジャズフェスもあり盛況だったようですが、つれない雨で各地から来仙して頂いた方々に、多少申し訳ない気分です。 八月の七夕様もこんな感じでヤレヤレでした。さらに、この前の大阪高槻木市の地震、その後の関空の水害や北海道の地震と、立て続けの悲しいことばかりで、お見舞い申し上げます。 日本全国、どこで何が起こるか分からないという状況です。まさに小さなノアの方舟状態です。お互い、さらに気をつけましょう。 そんな中、阿部監督から近況の報告もあり、皆んな興味深々です。特に先日松竹が発表した寅さんの『男はつらいよ』の五十作目の制作と監督の係わり具合などの質問がハイライトでした。 もとより企業秘密のことですから監督の口は極めて固く、皆んな「諦めるしかないかなぁ」と思ってると、司会のセニョリータ先生が「それでは1/5でいいから」と粘り、さらに誰かが小さな声で「だれにも言わないから」(笑)と呟くと、ようやく内容の1/500を話してくれました。さすが、一高仲間です。
さらに前回話題になった『殿の利息でござる』に続くものとして、皆んなの関心を引いた作品の進行具合も話され、すこし前に進んだ感じでした。すると早速、白木さんや演劇関係者の売り込みも激しくなり盛り上りました。そして白木さんの役はアニー・ブゼル先生と勝手にその場で即決とあいなりました(笑) アニー・ブゼルという人は現在の「尚絅学院」の創立関係者で初代の校長です。26才でアメリカから女性宣教師として仙台に派遣され、かつての「尚絅女学院」を発展させました。その間、旧制二高生だった古川出身の吉野作造や富谷出身の内ケ崎作三郎、気仙沼の小山東助にキリスト教を伝授して、後の大正デモクラシーの礎を築かせました。同じころ土井晩翠も二高生で吉野と交流がありました。 あと同じく中学から一緒だった真山青果も在校していました。 作品はこれらの青春群像に焦点をあて物語化しょうとするものだそうです。しかし、当事の時代背景・キリスト教・聖書・讃美歌・旧制高校の雰囲気等と、普通には馴染みの薄い面もあり、私も脚本とプロモーションの面で多少係わりそうです。(原作・小説)も書きます。 ◎そして最大級のハイライトはなんと監督の手で、かつて社内にあった脚本家講座を再開するとのニュースです。以前から松竹には「城戸賞」という脚本家養成部門があったそうですが、国内の映画状況で小休止状態だったようです。それを監督の先見の明で再構築したようです。 きっかけはアメリカの「ブラックリスト」にインスパイアを受けたようで、今後の映像クリエーターやユーチューバーのたまり場、集合場所となり東宝や東映も、追随する事になるでしょう。 私も「これからはアマゾンビデオや、ネットフリックスの登場で、撮った映画やドラマがこれ迄と違い、決してお蔵入りになる事はないのだから」と意気投合して参りました。監督、流石です。 ちなみに今回の松竹の脚本家講座の応募件数は300点を越えたそうです。どうぞ志しの有る方は益々奮って挑戦してください。日本映画・クールジャパンの盛行ということで大いに期待しております。 ◎街起と冬場の仙台の観光振興でムービー賞ならぬブービー賞や、イグ・アカデミー賞の開催もいいですね(笑)

2018年8月8日☆ 平成最後の七夕のことなど

仙台七夕祭りが始まって3日目となりました。今年は例年になく3日連続の雨模様です。ジンクスでは3日間の開催中どこかで一回は雨に見舞われる。と言うのが定番です。 それが連続の雨空でかつてないことです。 初めて七夕を見たのは昭和47年でした学生として市内国分町にワラジを脱いだ年です。三善英史さんの歌は、七夕が過ぎて9月頃から流行始めました。 その頃はちょうど8月末から秋雨前線の影響でよく降る毎日でした。 通学時に私は駅前から中央通を雨を避けながら歩くと、よくこの曲が流れてきて歌の情景そのままでした。そして、あなたはきっと長町から市電なんだろうなぁと思ってました。 下宿が今の市民広場に近くて、野外ステージの後に聳える三菱地所ビルの所にトヨタがあり、そこに貞喜君がいて大分お世話になりました。 このころ*、貞喜君はトオルの面倒もみていました。そして、当時も今もあの辺が私のシマです(笑)  定禅寺通りを渡り、賑やかに華やぐ一番町の入り口に立つと、今でも健在な「梅原鏡店」の豪華な飾り付けを先頭に、ずっと藤崎方面まで続いてるのです。この曲も流行ってました。 そのスケールと華やかさに圧倒されました。特に飾りは正直、今の二倍の豪華さでした。ただ、それを一人で見るというのが、多少のさびしさを誘いました。 「七夕は出合いの祭りなのになぁ、一緒に見たかったなぁ」と前年からくすぶっていた未解決の思いにやるせなさが募りました。 * ちなみにヨリちゃんは越路の県の独身寮でタイ(忍者方)の面倒をみていて、私も時々食堂のカレーを食べ に行きました。タイは大きな顔して他の県職員と一緒に暮らしてました(笑) その後、昭和52年には宮城県沖地震も有りましたが、それに怯むこともなく益々豪勢なお祭りと成って行きました。そして一番に盛り上がったのは昭和54年*Ⅱでした。この年は連日猛暑で、たしか雨も降らなかったと記憶しています。そしてバブルに突入していくわけです。 *Ⅱ 宗さんの大ヒットは53年ですちょうど七夕の時期に全国的に流行りはじめました。思い出深い曲です。 バブル期もそれなりに華やかでしたが、後半には次にくる落ち込みが、そこはかとなくフツフツと現れ、現在を予見させていました。 もともと仙台は空襲からの復興、終戦の痛手をくぐり抜け、東北でも屈指の都市として目覚ましく発展してました。むしろ空襲からの都市の再開発ということで、道幅なども大幅に拡張されて大都市としてのポテンシャルを 獲得していました。いまの青葉通・定禅寺通・二番町通などが戦後の都市計画道路で拡幅されたものです。 その頃よく週刊誌などでの住みたい都市のアンケート調査があると京都と並んで1位2位を競っていました。 勢い、そん中、いわゆる仙台商人の意気込みもあり、その気質は「売ってやるから、買いに来い」の殿様商売ともいわれましたので鼻息も荒かったです。反面、私の目には商魂逞しくも映りました。しかし、その勢いもバブル終焉と共に陰りが見えはじめました。 わたしはこのバブルをプラザ合意*Ⅱによる意図的で「急激な経済成長」と捉え、まさに、先き行15年間分ぐらいの「成長の先食い」と受けとめていました。それが今や失われた30年とかなりそうです。 *Ⅱ プラザ合意が決まると、それまで「総需要抑制」とか言って微動だにしなかった株価が、中曽根総理らの「明日から景気が良くなります」との宣言から「内需拡大」を合言葉にして、急激に株取引が活発に動きだすのです。そして、あの新日鉄の一日の出来高が1億株という日が続出とあいなりました。そして地上げです。 ◎ 信じ難いですが本当にバブルが始まり狂気の沙汰でした。当時、三菱地所はニューヨークのロックフェラーセンタービルの一部を取得して米国民から顰蹙を買いました。そして竹下総理らの野村證券での「損失補填」が 発覚し摘発されました。すると今度は行き過ぎた、となり政府の「総量規制」でバブルの終焉となりました。 で、その後様々な経済政策も試みられました。そして5年前の2013年4月に打ち出されたいわゆるQQE、質と量の「大規模金融緩和」異次元緩和策も、先月7月31日に日本銀行の「フォワード・ガイダンス」策でもって収束の方向に舵を切りました。 これも正に有識者から見れば歴史的な「金融・経済政策の実証実験」の結論が導かれそうです。 ここまでの経過として、2%の物価上昇も*Ⅲ さらには懸案だったプライマリーバランスも、劇的&非劇的にも改善しませんでした。黒田日銀総裁も「あとは御察し下さい」と副作用を恐れて、ゆっくりとフェードアウトすることを決めたようです。 *Ⅲ 2019年10月に消費税率を上げるといやでも2%の物価高になります。 平成の七夕も本日をもって終わります。来年からの新たな御代の七夕様はいかがとなるでしょうか。 私としてはタイム オブ チェンジで、これ迄にない時代になることを予見しています。そんな中でも理解が得られるかぎり、一緒に歩んで行きたいと思います。共により良い未来を思い描きましょう。了

2018年7月7日☆ DNA検査機器とスマホアプリのことなど

けんさ以前はDNA検査というと何億円という費用が掛かりましたが、この度英国で販売された汎用検査機器は約2000ドルだそうです。 DNA検査が一般的になったのはここ十年ほどのことですが、その発達は目覚ましいものです。これもコンピューターのおかげです。 これを人力だけで解析しょうとすると3000年はかかるのだそうです。バイオとPCは本当に相性が良くてまさに神に感謝です。 幼い頃から植物や薬物は興味の高い対象でしたが、大森先生との運命的な出会いが、この方面(生命科学)の道を拓いてもらう、きっかけとなりました。 そして様々な出合いなどもあり、今では「神が決めたこと」と納得し感謝しております。
次にスマホアプリの事です。この夏のボーナス商戦の広告などを見ると、新型テレビでは4Kはもとより、Wi-Fi装備が当たり前になって来ました。つまり、スマートテレビの本格的な売り出しです。 おかげでどんなテレビでも、You Tubeや アマゾン プライム・ネット フリックスが普通に観られるようになりました。 そこで、このタイミングで当郵映TVでも、写真のようにスマホの待受画面にYuei・TVのアプリを登録しましたので、スマホ及びテレビでも「Yuei・TV AIサービス」が利用出来るようになります。 で、同じく「COSMOS・手鏡」のアプリではスマホが化粧用の手鏡になり、メイクをしながら、足りなくなった化粧品の補充購入や、各種の健康診断を受たりすることが出来ようになります。 さらにスマートテレビでは「郵映通販」に注文を申し込んだり、自分の歌っている姿を画面で見ながら、自宅カラオケ*を楽しんだり大画面でゲームをすることが出来るようになります。 *また Yuo Tube にアップして広告収入を得たり、音源の著作権をクリアして*Ⅱ歌手として収入を得る事 が出来ます。 *Ⅱ(ブランケット契約)にすることで可能です。
◎ いまはテスト中ですが、アプリはいずれPleyストアから、ダウンロードして頂きご利用となります。 以上のサービスを展開するために amazon appstorとも提携しました。よろしくお願いいたします。 ☆そして本日は男女仲よく 両 Tさんのお誕生日ですね。おめでとうございます。お元気でしょうか。会いたいですね。TSさんが突然訪問してくださった事、さぞ驚かれたでしょう。じつは私もなのです。 でも気を効して頂きとても感謝してるんですよ。その事が伝われば私にすれば御の字なのです「ほって置けなかったから」と訪ねてくれたのだそうです。TSさんには「わざわざ有難う御座いました」私から感謝を込めてGod bless you.です。 ◎和菓子、オイシク無くてゴメンね。受けました(笑) そして、いつまでも素敵なレディーだと思ってますよ。 God bless you・by フミ 先日、伊藤さんから電話をもらい二人で笑いあったら、ことさら元気が出て、改めて「自分の元気のもとだったんだなぁ」と気付ました。お二方も同じです。わたしに元気をください(笑) よろしくお願いいたします。 God bless you・by フミ 18日生まれのE様にも おめでとうございます。健やかにお過ごしの事と存じますいつか会える日を楽しみに。 God bless you・by フミオ君

2018年6月24日☆ 東北大学知のフォーラムのことなど

昨日は東北大学知の創出センター5周年記念ということで特別公演があり参加しました。 会場は片平キャンパス知の館で、講師はカリフォルニア工科大学教授の大栗博司先生でした。 その中で大栗先生が監修をつとめた『9次元から来た男』という映像があり、それを上映して話が進められました。 テーマは宇宙の始まりや物質の組成に関することで、現在の宇宙物理学の最先端のレクチャーでした。それは理学部にでも行かないと聴けない、なかなか高度な内容でした。 わたしも書籍等で得た知識は多少有りますが、実際の講義は昔の自然科学概論以来進んでいないので、やはり今昔の感がありました。それでも先生曰く、ここまでの宇宙に関する理解は、「全体の5%程度」なのだそうです。 これを聞いて頭に浮かんだのが「ILC」リニアコライダーの事です。文部科学省としては今年あたりが決定時期とか伺ってますが、ぜひ全世界をリードする研究が三陸で行われるよう、お取り計らいのほどをよろしくお願いします。 地方創生事業として、ここを先途に次々と三陸の復興策を打ち出して行きたいと思います。重ねてよろしくお願いします。

2018年5月26日☆ クールジパン企画・法華さんのことなど

法華さんとはある方のご縁で若いころから存じ上げていました。 その後、筆甫の「タタラ製鉄」の研究会でご一緒させて頂くことになりました。 筆甫のタタラ製鉄とは、藩政初期から始められた、古式製鉄の技法ですが、当時としては最先端の製鉄技術です。 この古式製法を復活・研究会を立ち上げてくれたのが、古くから地元でタタラの「むらげ」の家柄を務めていた庄司一郎さん達でした。
その会に顧問して加わっていたのが、宮城県無形文化財の刀匠・『法華宗三郎信房』さんと東北大学工学部教授の高橋礼二郎先生でした。 「タタラ製鉄見学ツァー筆甫」(クールジャパン) *江戸時代には隠れクリスチャンで聖母マリア像を観音様に模した「マリア観音堂」を今でも祀っています。 そのころ私は一度職場を離れ研究生活に戻れて、毎日がウキウキする日々でした。自分の小説や経済学の研究からは少し遠いですが、製鉄・タタラの研究は探求心満載だったので、楽しいものでした。 また、秋田大学工学部の研究会では八巻さんが発表等、研究者生活の醍醐味を味わい、まさに至福の時でした。
実験は朝早くから始められ、夕方まで続きます。そして打ち上げ・直会は会長の八巻さん宅です。ここでの乾杯のビールがなんとも言えず美味で、さらに「鉄」*Ⅱの話題に談論風発で、つい飲みすぎて車も運転できず、泊めて頂たのも数知れずでした。 *Ⅱ毎回、確実に4〜5kgの鉄が出来、それを材料に法華さんが実際に短刀を打ちました。とても良い作品で、ほしい方がいれば法華さんに注文すると鍛造してくれます。価格は応談です。 「実践作刀ツァー松山」(ディープジャパン)
その後、震災があり原発の放射能の影響で、研究会もご無沙汰状態です。しかし、庄司さんからは毎年カレンダーと筆甫の「へそ大根」も頂き「カタジケナク」思っております。また、折をみて『筆甫のさくら』なども観に行きたいと思っております。 ◎ そして庄司さん達の地道な活動は「地方創生・旨い物は地方にあり」の先行事例であり、かつ最高のモデル地域・見本です (ネバーギブアップ) 日本各地でタタラ製鉄の実験が見受けられますが、なかなか鉄が出来るまでに至らずに、多くは実験の段階で終わります。 しかし、筆甫では確実に製鉄が出来ます。(理論と実証実験) そして、それは並々ならぬ筆甫の方々の研究と努力の結果でした。その粘り強さと前向きな研鑽の姿にいつも頭が下がります。
それで法華さんからは我が家の家宝であった、備前長船系の大刀を鑑定して頂いたりしました。わたしとしては「関の孫六」が好きで、少し崩れた三本杉の刃紋もあるので「孫六ではないか?」と期待したのですが、やはり、我が家の家伝どうり備前物でした。「流石だなぁ」と言うところでした。 家伝では、なんでも「大阪夏の陣」に動員され、その戦勝祝いに伊達家から恩賞として拝領したものと伝わっていました※Ⅲ我が家には終戦までこの大刀を含め七振りの日本刀があり、特にこの大刀は、元々「仲向」にあったものが明治二十九年の津波のあとに、馬場の我が家に伝わったものだそうです。父はこれを軍刀拵えにして、先の大戦に出征しました。 ※Ⅲ宮城懸史にも記載有り、この時「真田」の姓も賜りとあり、実際、仲向の墓地の中に実物もあります。 これらの刀はいずれもこの津波で流されました。それらの詳しいエピソードはいつかまた書ましよう。 広告 国民宿舎 あぶくま荘 ☆今日は千葉京子さんの誕生日、四学級以来の仲良しで*Ⅳ五年前の同級会で会い「連絡するから」と言ってそのままでごめんなさいなんとかします。そして明日は伊藤さんとマゴの誕生日、このままいい天気だといいね。 *Ⅳ京子さんと伊藤さんは揃って健康優良児を受賞したそうですマゴとは同じ港に生れ小学以来の仲良しです。 皆さん、あの紅顔の美少年・美少女がついにここまで来てしまいました。語る言葉もありません。まずは震災以外、大過なく過ごせた事を感謝して言祝ぎ「オ

2018年4月15日☆ 羽生弦さんのパレードと拉致問題解決

新緑もまぶしい季節となりましたが、それにも増してまぶしい、羽生結弦さんの凱旋パレードが22日に行われました。 前回、2014年には観ていなかったので、今回は大勢の皆様に混じり、しかと観て歴史的瞬間を楽しんで参りました。 二度に渡る金メダル獲得は仙台をさらに活気付けてくれました。多くのfanや市民は感謝でいっぱいです。 インタビューでの市の発展や復興への思いも確実に伝わりました。 今後は三度目に挑戦するもよし、後進を育てるもよし、テレビ・ドラマ・映画等で活躍をするもよし、大いに青春を謳歌してください。以上です。 さらに今月にあったことで、北朝鮮の核・ミサイルの断念・放棄には大いに歓迎です。 一日も早く普通の国に近づき、国(人)民の福祉に繋がることを期待しております。急激な方向転換は国内的にも相当の覚悟とエネルギーが必要と思われますが、ここが正念場です。上手く軟着陸が達成出来るようお祈り致します。 そして、東京オリンピックにも参加したい意向とかのことですが、それでは速やかに拉致被害者を返還して下さい。拉致も解決せず、オリンピックへの参加などの要求は、我が国の国民感情を逆撫する話しで論外です。 決して「スポーツの祭典を共に享受したい」などの話しは夢物語で、容認されるものでは有りません。追い追い、世界の暗黙のルール(国際秩序)とか国際社会での常識を獲得し、普通の国へのデビューを果たしてください。そして改革解放政策を実現してください。 ◎ 拉致問題解決は新たな我が国との「国交」(国家承認)等を締結する上で最重要な一里塚です。従って、身代金要求*などの後の代まで世界の笑い者になるような恥べき行為はやめるべきです。末代まで笑われ続けるでしょう。むしろ最年少の横田めぐみさんを一番初めに返し、その後の全員帰還の交渉窓口になって貰うことです。 *日韓併合時代の諸々の償い金などの支払は1965年の日韓基本条約で南北分を南朝鮮に一括支払済みです。 そして過酷な境遇にあった横田さんに花を持たせて、正式な国交樹立後の両国の橋渡し役をお願いするのです。本人が拒絶するのであれば無理強い出来ませんが、貴一族とも深い交わりが有り、機密上も躊躇っているようですが、ここでの決断が今後の両国の関係性に深く関わってきます。一時の恥は忍んでも実行すべきです* *けして消しゴムで消える恥じでは有りませんが「悔い改めれば」主も何かを感じて下さるか・・・祈ります。 〇制裁解除や経済支援はその後の日本側の状況判断に左右されると心得た方が甘く過剰な期待を抱ず済みます。 併合時の邦人の遺骨返還等も在日者の身元不明・無縁仏・死後帰国希望者の遺骨とかの引取交換となります。 ◎もし、めぐみさんが帰還前に、ご両親のいずれかが欠けたりしても、我が民族は貴民族を永遠に許しません。 今回は一歩も引かない米国大統領の方針や、粘り強く交渉をサポートした日本国政府の思いが結実したものと思います。翻って貴民族に置かれましては、国を開く(国家承認)を受けるにあたり、南北(DMZ)38度線付近に展開している長距離砲や、ロケット弾等の撤去をして、国際社会にも二心の無いことを示す必要があります。 「イムジン河」 つまり、そちらが挑発したりドジやヘマをやらかしたりしなければ、こちらから攻めこむ事はないからです。 具体的には六ケ国協議で進めるものと思いますが、これからのグローバル社会では、幕末に島津斉彬侯や勝海舟などが構想したように北東アジア大陸への、東の玄関口としてもポテンシャルのある地域です。アイデア次第で発展も考えられます。 一日遅れればその分チャンスを逃すことにもなります。もう「古い極東アジアの盲腸半島地域」などの汚名を返上すべき時が来ました。今後の決断に期待します。 そして「条約や国際間の協定・約束事を平気で破ることを生業(ナリワイ)にしている国及び民族」(ならず者国家)などと言うレッテルを自ら剥がしてください。それが国際社会へのデビュー*の第一歩です。輝かしい未来になることを、いち近隣国民としてお祈り致します。提言は以上です。 *一応、国際社会はルール オブ ローで成り立っています。幕末に坂本龍馬が読んでた「万国公法」から読んでみる事をお薦めします。まずは、そこからです。勝海舟が龍馬に伝授したものです。日本もかつてここからスタートしました。 テキストをよく読んで国際的法律用語も着実に確定したものを身に付けて、国際社会での発言も各国から失笑を買う「井の中の蛙」的な物言いも慎み、よく「口の利き方」を勉強して習得し、洗練された外交を目標した国となって下さい。そこから、更に、日本と南北朝鮮半島の交流や交渉事を始めるための「話しはそれから」です。 非ジェントルマンで田舎ぺ大将的「口の利き方」ではどこの国もどんな人も未来永劫に相手にしてくれません。また、国際間の外交交渉は独断専行や労使協議の場では有りません。一方的自己都合の要求をしても無駄です。何んの解決にもなりません。相手国と条約を結ぶという事は「信義」を結ぶ紳士協定を締結するという事です。 「国際間には道徳はなく、ただ欺瞞、暴力あるのみ」と言ったホップスや、マキャベリ論はもう古いです。人類は二つの大きな戦争を経験したあと主の教えに従い多少進歩しました。大きな植民地も地上には有りません。 以上、貴地域が国際社会から認められるよう参考になれば幸いです。 (国際法の基礎はウェスト ファリア条約の成り立ちや経緯を勉強することもお奨めします。試験に出ます。) ◎ わたしとしては高校のとき音楽の授業で学び歌い知った、この南北分断の悲しみを、横田めぐみさんの望郷の思いと重ね「イムジン河」と言うタイトルの映画にしたいと思っています。 追伸 26日・トランプ大統領が、JFK暗殺機密文書の全面公開を再度延長して、2021年10月までに、改めて開示の是非を検討するよう、関係省庁に指示しました。 ◎ さあ~トランプさんにとって、公開されると一体どんな不都合な真実があったのでしょうか ?(笑) アメリカ国民の皆様、真相が知りたい全世界の皆様、こんな事で良いのでしょうか。ハリウッドよ・コッポラよ スピルバーグのように 〝♯MeToo〟 と立ち上ってください。世界中の映画fanが心待ちです。

2018年3月15日☆ 阿部監督応援段「今年は何か起きそう」

先月の25日でしたが、恒例の阿部勉応援団の新年会がありました。 今回の事務局からの案内状には「今年は何か起きそう」というニュアンスがあり「何だろう」と思っていました。 すると地元のある都市の首長から『殿,利息でござる』のインスパイアを受けたと思われるオファー、郷土の著名人の物語企画が持ち込まれたとのことで、大いに盛り上がりました。 それを聞いたわたしの周りでは、それでは仙台で、今回のオリンピックでも金メダルに輝いた羽生結弦選手をモデルに「せんだいスケート物語」はどうか?などの話が飛び交い、おまけに団員のカメオ出演の話しにまで発展して、とても夢の広がるひと時を過ごして参りました。 アメリカのアカデミー賞の主演男優にウェストン・チャーチル役が選ばれたり、特殊メイクでは日本人では25年ぶりに辻一弘さんが選ばれました。そして驚いたのはスピリバーグ監督がかつてのワシントン・ポスト紙の女性社主キャサリン・グラハム氏役をメリル・ストリーブで撮るというのです。イヤー 最高のキャスティングです。 これはどう描いても傑作になります。ペンタゴン ペイパーズ、さらには続くウォターゲート事件が女性の視点で描かれるわけで、私が描くハワード ・ハントは男性視点なのでこれらの事件が、改めて世界中から注目を集めることになります。 いよいよブーム到来です。関連物としてシリーズ化になりますので先行の『大統領の陰謀』を観ておくとより参考になると思います。封切りが待ち遠しいです。 こうして今騒ぎになっているフェイクニュースなどの20世紀後半に起きて、未だに判然としないアメリカ史の暗部が解き明かされそうです。同じように日本での近畿財務局問題などもありますが、国際情勢切迫、拉致被害者の奪還問題もあります。国内問題の早期解決を願うところです。

2018年2月11日☆ J・F・K暗殺からウォターゲート事件へ

2018年2月10日・PM7時30分 N H K BS1 映像の世紀プレミアム 『アメリカ 自由の国の秘密と嘘』の放映がありました。 始まりは1954年、ウォルト・ディズニーが企画したディズニーTVでした。 この時オープンニングのナレーターをしたのが後の米国第40代大統領ロナルド・レーガンです。当時はまだ売れない俳優でした。何か因縁めいた繋がりです。 次に1974年に我々の世代に大衝撃を与えたパトリシア・ハースト誘拐事件の祖父・新聞王ウィリアム・ハーストが唱えた「アメリカン ファースト」のフェイク ニュースと続き、益々因縁めいてきます。 更には、ついに初代FBI エドガー・フーヴァー長官の欺瞞が本邦 N H K 初公開で明かされるのです。しかし、今回は何故 ? 彼がケネディ暗殺事件の隠蔽にくみしたのか ? には触れません。(ここが最重要ポイントです) このほかにベトナム戦争時のジョンソン大統領とロバート・マクナマラ国防長官の本心がフィルムに残っていました。これでベトナム戦争で犠牲になられた方々の、多少でも鎮魂になることを祈ります。 そして、ニクソン大統領のウォターゲート事件へと続きます。 ◎ N H Kは今後も順次これらの闇の真実に迫ることでしょう。これが私の『J・F・K ダブルスティツ』『野武士の時代』『ウォターゲート事件』=(執筆準備中)の3作品*の内容を証明してくれるものと思います。 乞うご期待です。 *3作品の原作/上映権を合わせて10億円(参考)・コンテンツオークションor応談のコンテンツビジネスです。 追伸:こうしてアマゾンビデオ・ネットフリックスの市場がある米国ハリウッドへの進出が可能となります。

2018年1月1日☆ 新年にあたって

明けましておめでとうございます。 いよいよ4 K テレビも始まります。さらにAI搭載の スマートテレビが昨年あたりからブレイク中で、世の中は確実にこちらの方向に進みます。 じつはテクノロジーはもっと先を行き、AIスピーカーではAmazon・エコーやGoogle・ホームまたLINEのクローバーなどのAI音声認識デバイスがしのぎを削る状態です。 この流れはこれからの家電製品とかの主流になり、世の中の自動化の波は、私があえて言うまでもありません。 ちなみに先月のアマゾンのクリスマス商戦トップセラーはEcho Dotで数百万台の売上だったそうです。 いきおい世界の産業構造や生産工程の方向性もこれに添った形で展開される事になります。そう言った意味で今年は、新たな産業社会やライフスタイルのターニングポイントの年になります。さらにオリンピックを二年後に控えて、新世代へのプレ開示、幕開けの年となります。 時間がたてばたつほど諸外国との競争が加わります。そう言った意味でも今年を良いスタートの年にしましょう。「先んずれば他を制す」です。永遠の開発競争が始まりました。お互いに頑張って良い歳にしましょう。 以上、新年のご挨拶でした。 追伸:◎ネットビジネスにおいてはBtoBの取引料やBtoCポイント決済では1~5%ルールとかの確立が求められます。

2017年12月25日☆ 歳の瀬を迎えて

今年もクリスマスまで来てしまいました。もうすぐお正月でお互い気ぜわしい季節になりました。 そんな中、今月あったこと、心にのこったことをメモ的に載せて行きたいと思います。 そのハイライト(1)は阿部勉応援団の忘年会が12月10日に「 せんだい演劇工房10-BOX 」でありました。 趣旨は団員であり、仙台市文化事業団の学芸員をしている大沼さんが「 10ーBOX 」で、演劇のワークショップを開催し、その講師に阿部監督が二日間招かれ、その打ち上げに私達も「大望年会」(団長のシャレ)がてら参加したものでした。 今回も主賓である演劇関係者、舞台関係者の方々との真摯で楽しい交流をさせて頂き、さらに大いに盛り上がりとても愉快なひとときを過ごして参りました。冒頭に太宰先生に会うと「三浦さん この間のガーファンクルの時、二つ後ろの席に居ましたよ」と言われ「エエッー ほんとう〜に オーマイガー」となりました。二人でS&Gの話しに夢中になり、改めて同好の士は「良いもんだなぁ」と感じてきました。 あと監督に山田監督が小津監督の手法をどう意識していたのか? 取材調にリアリーに尋ねてみました。すると案外、巷間に伝わってるのと、ニュアンスが若干ちがい太宰先生、大沼さんとで「へぇー」となりました。貴重なお話ありがとうございました。 小説は小説、映画は映画と、それぞれですが監督の、その手法の違いにいつも、興味があります。 (2)は今年大ブレイクした荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」のことです。平野ノラさんと登美丘高校のおかげでリバイバルの大流行となりました。時はバブルに差し掛かってた頃と思います。テレビでタモリさんが「ワンレン ボディコン マブイ ギャル」をはやらせていました。 いつもように一番町を歩いていると、フォーラス前の永楽園(当時)の隣のビルの角で待ち合わせなのか、ニットのミニボディーコンシャスでワンレングスの女性を見かけて「おーこれか〜」と思いました。仙台で初お目見えです。そこから爆発的大ブームが続くのです。 当時はディスコミュージックが流行りで国分町では「グリーンハウス」などが全盛でした。そして曲はユーロ・ビートです。この時気に入ってたのがドイツ語に聞こえた『Eat You Up』でした。そしたら、ある時、休日に丸善に行くと入り口の所でCDの販売があり、偶然、荻野目さんバージョンを見つけシングル版だったので気軽に買いました。 そしてドライブなどで車中で聴くと、そのメロディと日本語の歌詞が驚くほど完璧なのです。内容は踊りに来た少女が男性に求愛するストリーなのですが、詞の構成が1番〜3番まで若者向きに実に良く出来た物語に仕上がっているのです。イヤー驚きました。そしてクオリティーが高ので自分の『Don・Vito青春記』に載せたのです。 すると今度は、この曲が愛知や岐阜さらに東京でも盆踊りで使われ出したとのことでした。しかし私にすれば「むべなるかな」なのです。実は日本の盆踊りの起源・ルーツは先住アイヌの方々の伝統行事だったのです。 彼らは夏の終わりに男性が丸太をくり貫きお盆を作り、男女が輪になって踊りながら好きな相手が近付いたら、そのお盆を投げ渡すのだそうです。そして女性もOKならそのお盆を受け取り求愛が成立し二人は暗闇に消えるのだそうです。 この風習は明治期まであったようで、渋民村で教師をしていた啄木が良くない風習なので禁止したといってます。まっ、それはさて置きシャイな日本人には珍しい求愛ダンスが盆踊りの発祥起源のようで、今回のダンシング・ヒーローのリバイバルヒットには少し感慨深いものがありました。 日本人の盆踊り好きも「おわらの風盆」なども同じルーツなのでしょうか?と不明ですが以前から思っていました。以上、長くなってしまいました。しかし、盆踊りの楽しさは普遍ですので今後も末永く続くことを祈っております。そして日本の少子化に何らかの恩恵があれば良いのではないでしょうか「愛こそすべて」聖書です。 ◎ 愛がなければ子供が生まれて来ません。 (3)は12月2日に亡くなったはしだのりひこさんのことです。闘病中だったそうですが、まだ早すぎです。北山修さんは、のりちゃんから「人生の意味は自分で作り出さなければならない」ことを学んだそうです。 わたしとしては端田さんは「おわらの風盆」となってしまいましたが、「帰って来たヨッパライ」でもいいから、また楽しませてくれないかなぁと言うところです。ちなにみ、中退だそうですが、同志社の神学部だったそうです。合掌 おわりに「風」は当時、隣の席の渡辺君が歌ってたのを良く覚えています。それでは皆さまよいお歳を。です。

2017年11月23日S&Gガーファンクルとケネディ文書について

11月10日のことですが、サイモン&ガーファンクルのデュオのうち、アート・ガーファンクルの単独来仙コンサートがあり観てきました。 場所はトンペイの川内キャンパス・萩ホール(旧松下記念館)です。ここは東北大学の片平キャンパスが手狭になったので、川内キャンパスを新設するさいに、松下幸之助さんが私財を投じて寄贈してくれたホールです。音響設備に定評がある1200席ほどの施設で、定礎は昭和46年頃です。 私が初めてサイモン&ガーファンクルを聞いたのは中学二年の夏休みです。間もなくお盆と言うとき、母に命じられ恒例の大掃除中でした。 あの100mはある上城の長い側溝をTBCラジオを聞きながら、シャベルでエッチラ、オッチラ黙々と作業をしていると、一度聞いたら絶対に忘れられないサウンドOFサイレンスのメロディラインが流れて来ました。それこそ「エエッ なんだろうこのメロディは」と耳にガビ〜ンと響きました。 それからレコードが欲しくなり、姉が志津川の朝緑にいくと言うので買って来てもらいました。ところがこのレコードがサイモン&ガーファンクル版ではなく、当時、競作だったマリー・ラフォーレのフランス語版だったので「サイレンス」が「シロンス」とか歌われたりしてあまり感じが出ませんでした。 そしたら次の年の三年生になると偶然ヒデと大森先生のクラスで一緒になり、アーティストの話をしてると彼がサイモン&ガーファンクルの「ミセスロビンソン」を持ってるからあげるよ、となったので頂くとそのB面がサウンドOFサイレンスでした。ちなみに同じ頃、善昭君からビージーズの「マサチューセッツ」をもらいました。 もともと、サイモン&ガーファンクルはトム&ジェリーというグループ名でデビューしました。するとやがて67年頃、ダスティン・フォフマン主演の映画「卒業」の中での主題歌「ミセスロビンソン」がヒットしてメジャーデビューとなりました。 その映画にサウンドOFサイレンスとスカボロフェアの2曲も入っていて同時にヒットしたものでした。 で、今回の萩ホールのコンサートのことですが、曲は「四月になれば彼女は」や「ボクサー」が前半に歌われ、中盤に「サウンドOFサイレンス」「スカボロフェア」などが歌われました。そして「ホームバウンド」「キャシーの詩」と10曲以上が歌われトリは誰しもが予想した「明日に架ける橋」で感動のフィナーレとなりました。 そして写真のことですが、せっかく、憧れのサイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルがトンペイのホールに来てくれるのは後世の歴史になるので、肖像権のことも有りますが、記念に1枚は欲しいと、一緒に行ってくれた人にソッと撮って貰うよう頼みました。 ところがカメラの準備中に手が滑ったのに気づかず、フラッシュ焚きとなってしまいました。すると流石はガーファンクル、「誰だよ」と私たちを睨みました。さらに、外していたメガネをかけて、歌いながら再度こちらをにらむので、怒りが如実に伝わって来ました。私は「申し訳ない」と心のなかでお詫びしました。 そんなこんなでアンコールも終り大拍手の中ですが、私は大声で「Thank you so much Garfunkel」と叫ぶとステージの袖に向かう後ろ姿の背中に「うん いいよ」と言ってくれたような気がしました。同行の人もまわりの人も「驚かせたかなぁ」と多少のリグレットも有りましたが、そのぶん更に思い出に残る一夜ともなりました。 自分の青春と共に歩んだS&Gに仙台、それもトンペイで会えるなんて、夢にも思いませんでした。以上です。 そして日本時間の本日がケネディ暗殺の日です。昨日のテレビ「世界の何んだコレ!?ミステリー」でも触れていましたが、いよいよCIAとオズワルドが繋がっていたと言う文書と、オズワルドを殺したジャック・ルビー*が、ダラス市警察にワイロを贈る、ズブズブの関係だったという文書も出てきました。 *ジャック・ルビーはシンジケート・マフィアで、シカゴの代表 サム・ジァンカーナから送られた、ダラス駐在のマフィアの構成員です。事件後にオズワルドを暗殺することを命じられていました。この暗殺のやり方をマフィアはダブルコンタクトと言います。 追記: 参考メデア

2017年10月21日☆ 宗久さんとケネディ文書について

今月初めの連休に一番町の藤崎前でコンサートをしている宗久さんと遭遇しました。真紀さんがステージの準備中に偶然に出会ったのでした。 なんでも連休中、三日間も出演するそうで張り切ってました。彼女は気仙沼美人で相変わらずの美しさで、ステージも充実した雰囲気がありました。 歌もさらにオリジナルが増えたようで、ドラマの挿入歌に使えそうな曲も何曲かありました。何とかして実現したいです。 ファンにも恵まれその明るい性格で多様なファン層もあります。性格といえば高校で柔道をしていたとかで、時々豪快な笑いをして、わたしを楽しませてくれます。そんな時、もともと村上水軍の出なので、何か親しみが湧きます。水上、村上、三浦と同じ水軍仲間で、瀬戸内海の大三島神社をルーツに遡る古い付き合いを感じます。 ルーツと言えばこの間の津波で失った気仙沼市岩井崎「杉ノ下地区」の三浦一族も鎌倉以来の親族で明治期まで、産土祭(うぶすなのまつり)冠婚葬祭があると、お呼ばれで行ったり来たりしてたと、我が家に伝わっています。ルーツの話しになると長くなるのでいつかまた書きましょう。本日はこの辺で了とさせてください。
ケネディ暗殺関連文書 最後の機密 公開期限迫る CIAは延期要請か ーー トランプ氏の判断 注目 本日の河北新報に上記のみだしで今月公開されるであろう、ケネディ関連文書のことが以下のように載っていました。全文転載します。 【ワシントン共同】1963年11月にケネディ大統領が46歳の若さで暗殺されてから半世紀余り、その衝撃の死に関して最後まで非公開だった機密文書の公開期限が26日に迫っている。 今も謎が残る事件の秘密の記録を巡り米中央情報局(CIA)が公開延期を要求しているとされ、トランプ大統領の決断が注目されている。 公開期限を迎えるのは、ケネディ暗殺に関して米政府が作成した資料のうち最後まで非公開だった文書。92年に当時のブッシュ大統領が、ケネディ暗殺に関する記録を25年以内に公開するよう義務付けた法律に署名した。 米国立公文書館によると、関連資料約500万ページのうち約88%が既に全面公開されたが、約11%は部分的にしか公開されておらず、残りの約1%の文書約3千件は完全に非公開のままとなっている。 一部米メディアは、法律上、公開を唯一差し止めることが出来るトランプ大統領に対して、CIAが25年間さらに公開を延期するよう求めているとの情報があると報道。CIAは確認も否定もしていないという。 暗殺事件について、ウォーレン元連邦最高裁長官が率いた調査委員会は64年、リー・オズワルドの単独犯行と断定すると報告書を公表したが、米政府機関や外国政府が関与した陰謀説、マフィア犯行説などが今もくすぶり続ける。 事件の全容解明を望む声は根強く、米上院司法委員会のグラスリー委員長(共和党)は声明で「わたしたちの運命を変えたあの日に何が起きたのか、米国民は知る権利がある」と全文書の公開を訴えた。 2017年10月21日(土) 河北新報・朝刊 全文まま転記 Don・Vito・Fumione ◎このことは昨年12月1日☆「カストロ議長のこと」で、もしトランプ氏が大統領になった場合はどうなるか?と予言しておきました。今後の展開がさらに注目です。 追記: 参考メデア 1  参考メデア 2 参考メデア 3 参考メデア 4 追補:【参考メデア 4】で、なぜ背後関係が無く単独犯であるはずのオズワルドが、事件前にCIAダラス支局長 J・ウォルトン・ムーア氏と会っているのか ? ここでも従来のオズワルド単独犯行説が完璧に破綻している

2017年9月11日☆ J・S・Fと阿部監督応援団とのこと

昨日は恒例の楽しい松竹阿部勉監督の応援団の集まりがありました。 ちまたではこれまた大イベントである、ジャズフェスの二日目と言うことで大なにぎわいと言ったところでした。 ちなみにジャズフェスの発展は目覚ましく、今回は会場のあちこちで「日本一のジャズの祭典」との声が聞こえました。「本当にそんなんなったのかなぁ」と、深い感銘を受け、やり続けることの大切さをあらためて実感させて頂きました。 回数も27回目と言うことですが、ステージ・会場の広がりもすごくて、当初は定禅寺通と勾当台公園、一番町付近だけでしたが、最近では西公園から仙台駅をはさみ榴ヶ岡公園までも広がりました。 この距離はなんと約4Kmで、ニューヨークで言うとマンハッタン島*の東西の幅がハドソン川からイーストリバーまでがほぼ4Kmなので、これに匹敵します。それほどのビッグイベントに発展しました。 *参考までに記すとマンハッタン島の南北間が約20kmで、仙台の泉パークタウン・泉中央駅から長町・富沢駅の名取川沿までの距離です。 この発展もひとえに市民のみなさまの協力と、さらに全国のプロ・アマを問わない、アーティストの熱意によるものと思います。心からの感謝を申し上げます。いずれ、これからはこのジャズフェス出演が次世代の「プロへの登竜門」**になった。と言われるくらいに成りたいと思います。 **アメリカのレーベルからオファーが来てプロのミュージシャンになる等のレジェンド・伝説 (ちなみに観客動員数は昨年より9万人増えて79万人)になったそうです。 ネットで全世界にも伝わりこれもクール・ジャパンと地方創生でインバウンドの1つになったなぁと思います。 これからも、さらなるインバウンドのテーマ・物語を構築して行きたいと思います。よろしくお願いします。 「 ヴィバ 定禅寺ストリートジャズフェスティバル! 略してJSFに God bless you 」です。
そして恒例の阿部監督の会では、今回も津田団長の「断腸の思い」から始まるのですが、その前に趣向をこらした「阿部勉映画塾」から入りました。 内容は映画界の裏話や業界の発展状況についてです。みな熱心に視聴していました。その中で私の心に響いたのは監督が若かりし頃に授(さず)かった「走るな」と言う先輩からの芸術家としての普遍的な心構えです。 かつて私も肝に銘じていた事ですが、おかしな職場にいたせいで何度か失ないそうになった事もありました。初歩的なことですがとても大切な事と再認識しました。 それで、今回のハイライトはセニョリータ先生の案内で出席していた、NHK仙台放送局の超イケメン記者さん「バルテンシュタイン・永岡 海」さんのことでした。 (バルテンが姓・永岡がミドルネーム・海が名前)のドイツ系の二世で、高身長に足が長く、さらに声が良く歌が上手いのでジャニーズ系をはるかに越えていました。 そしてここでバルテンさんをめぐる、ファンの大騒動があり、かつて三浦友和さんと自称その弟と名乗っていた三浦二三男が命、と抱き付いて離れなかった中村さんが、急にバルテンさんに乗り換えると言い出し、一緒に写真を取りまくり、周りから大ブーイングを浴びていました。 わたしも三浦二三男ファンクラブの規則違反として早速破門という処置をとりました。当ファンクラブとしては前代未聞で、いくらネタとは言え絶対にわたしを裏切らない、幼い時からの親衛隊長のE様はじめ各位に申し訳ない、と泣いて馬謖を斬りました(笑)(三浦友和さんには支倉常長役を配役すると監督に伝えてあります) と言うようなドタバタも有りましたが、今回の監督との会談のなかで、いよいよ松竹がアマゾンビデオと提携するという話が、わたしの出色の喜びとなりした。そして今後がさらに楽しみになりました。「神に感謝します」

2017年8月15日☆ ケネディ暗殺関連文書開示のこと

やや旧聞に付しますが、先月7月31日に、アメリカの国立公文書館の、ケネディ暗殺関連の文書が、一部開示されたようです。 以前、このコラムでも何度か予告したように、本来であれば2039年まで、封印するはずの公文書です。 それを全世界の人々の根強い関心事であること、およびその熱意に呼応して今年が二度目のプレ開示です。 正式には今年10月の予定ですが、その前段として7月31日に開示したようです。今のところ3800件の文書のうち800件で次回は3000件となるようです。 ◎ 今回もやはり一番の関心事はオズワルドの単独犯行か否か、と彼の旧ソ連やキューバでの諜報活動に関心が集まっているようです。 元々オズワルドは米諜報機関(CIA等)の下部傭員の1人でした。そのため旧ソ連に亡命したり、帰国後はカストロ政権打倒の部署にいたりと、その行動にわざと一貫性のない活動を繰り広げていました。 この一見、狂った行動性をストリーに描かれ、後に「その頭のおかしい男が単独でケネディ大統領暗殺を企てた」として、ウォーレン委員会報告書の※結論に利用されました。 ※(オズワルドの単独犯行で背後関係も無いのであれば州をまたぐ事はなく、管轄はダラス市警察なのでFBIは捜 査をしない)フーヴァーFBI長官。 事件から10ケ月後に、ウォーレン報告書が提出されると、フーヴァー長官はFBIの捜査終了を早々と宣言したものでした。◎FBIの捜査隠蔽工作を理解するのにはここが最重要ポイントです。 なぜ、フーヴァーFBI長官は捜査を躊躇したのでしょう ? 次はそこに触れて行きましょう。 まだまだ、深い闇は続々と続きます。乞うご期待です。 こちらに詳しく書いてあります。『J・F・K ダブル スティツ』さらに映像化も乞うご期待です。                                予定 Amazonオリジナル

2017年7月7日☆ 七夕様と銀河鉄道 「スペース エアポート」のこと

いよいよ今年も七夕祭りまで来ました。本日生まれのお二方様には先ずはおめでとうございます。つつがなくお過ごしのことと存じます。 天空祭りといえば、その昔、宮沢賢治を研究する先生から『銀河鉄道の夜』の本を頂き読んだことがあります。宮沢賢治の著書はいずれも難解で、私にとっては「南海キャンデーズの静ちゃん」なみでした。 今日はその難解な銀河鉄道(SDGs)・宇宙エレベーターがいよいよ構想段階の視野に入って来たことにふれます。 この宇宙エレベーターの優位性を端的に述べると、まず、月や火星への宇宙旅行のプラットホームになる事はもとより、直近のイノベーションでは地上の大陸横断鉄道も大洋航路の貨物船もしのぐものです。航空機もスペースシャトルをジャンボ機並みに大きくし、東京(釜石)~ニューヨーク間が30分で行けて、時差ボケも無くなります。 ◎システムやメカニズムは極々簡単で以下のようなものです。 本体はカーボンナノチューブで、東京スカイツリーのような尖塔を四本10Km四方に高さ50Kmに建てます。その内側に「琵琶湖鳥人間コンテスト」での*プラットホームのようなデッキを三層階に作ります。 地上に近い一層目のデッキに鉄道駅、駐車場、貨物ヤードを置きます。そして中段の二層目のデッキに国内線の滑走路と旅客ターミナルです。ここから飛行シャトルに乗ったまま、宇宙エレベーターで次の最上階の離発着エプロンまでリフトアップされます。 三層目の最上階デッキは大気圏外の無重力なので、大きなエネルギーを使わずに、航空機をリニアカタパルトで宇宙空間に射出する事が出来ます。目的地のニューヨークにも同じ施設があり、宇宙デッキ・プラットホームに到着して、エレベーターで大気圏・地上に戻ります。 これによって「地球の自転の慣性の法則と大気圏突入時の摩擦熱から逃れられる事」が最大のメリットです。 (貨物輸送も宇宙ロケットの発射も同じ原理)です。 *空母の飛行甲板を四角にしたイメージで地上・中空高度(8km付近)・成層圏(50km以上)の三段デッキ構造 【商標登録・特許・使用権】コスモス企画 日本側の施設を釜石近辺から遠野あたりに設置して銀河鉄道「日本三陸aerospace」の始発駅にします。 宇宙レベーター Galactic system 以上です。 追伸:7月18日生まれの方もお誕生日おめでとうございます。つつがなくお過ごしください。ふみお君 【 My dream come true, at was Utatu Junior Highschool student.】

2017年6月25日☆ 国際Iリニアコライダー「ILC」のこと

「 I L C 」については、トンペイの理学部の先生と連絡をとりながら、推移を見守っている所です。被災地、地元の方々からも「何時なんの、いつなんの」と催促されますが・・・専門外の悲しさから、歯切れの良い三浦節で、断定出来ないでいるのが何時もの残念事でした。 まっ、それだけ被災地、地元でも復興第二段・パートⅡの1つ、地方創生(SDGs)のひとつとして期待しているものと思います。 さて、そんな中、今朝の河北新報・一面トップに「 I L C 全長20キロに短縮」とのタイトルが載っていましたのでお知らせします。 内容は、本来、フル規格が目標ですが、予算的な処置として初期投資を少なくし「ダウンサイズングからでも、先ず始めましょう」と言うことで「小さく産んで、大きく育てたい」との意向のようです。大歓迎です。よろしくお願いします。 リニアコライダーというのは「物質科学」ですが、ふつうに考えると、人工的に電子と陽電子を連続的に衝突させて、その時の素粒子の動きをデータ化して初期宇宙の成り立ちや、ダークマターetc.物質の組成とかを探求する研究です。その事により将来的には新素材の開発や、未知の物質を加工するヒントが得られ、先進物作りの国として、また、さらなる牽引国としての役割や地位が保てます。 (中国ではこれに負けじとさらに大きい施設を検討中とのこと)
また、新素材といえば(SDGs)「素材科学」ですが、いま構想されている電導宇宙エレベーターのナノカーボンも、東北大学によって作られた新素材です。この宇宙エレベーターをなんとかして、岩手県沿岸部に作れないかと構想しています。 宇宙科学技術についてはかつて岩手県三陸町綾里に気象観測用ロケットの発射基地がありました。いまは漁業権かなんかの関係で種子島に移ったようです。 これにはひとつの思い出があります。アポロ11号が月面に到達したのが、高一の夏休みで水泳訓練の最中でした。アメリカの大偉業には感動を受けましたが、水泳訓練にはたいへん迷惑しました(笑)。その二年後高三の夏休みに善昭君に誘われ、彼のヤマハ X S 650に二人乗りし、遙々と綾里の発射施設の見学に行ったことです。 ( その帰り道に善昭君に強く促され、今の教会あたりにバイクを停めてTさんちに寄りました。そのときは会えませんでしたが・・・God Bless You) その当時は日本の宇宙基地はここしか有りませんでしたので、当然、ここが発展して行くものと思っていました。しかしその後施設がよそに移り何の恩恵もなくなりました。そんなこんなで三陸地方、岩手県沿岸部の発展の一助に(SDGs)ナノカーボンの宇宙基地を構想しています。 そうなると「被災地だから鉄道施設はいらない」なんてノッツオ犬の寝言並みの戯言は止めてもらいたいです。 【祝福された約束の地、乳と蜜の流れる里・学術創生エリア・イノベーション特区】 ◎「研究者の聖地と楽園」 聖書・宮澤賢治と大江先生の言葉から

2017年5月26日☆ ウォターゲート事件からロシアンゲートのこと

昨年はどこかの国でチェなんとかゲートとか言う事件が発覚して、結局、大統領が弾劾のはこびとなりました。 すると今度はロシアとアメリカに飛び火してロシアンゲートだそうで、ゲート【狭き門より入れ】がいつの間にか広き門になってしまいした。 そしてこのオリジナルの「ウォーターゲート事件」が発覚したのが1972年6月17日のことです。 当時、マスコミも連日してこのアメリカからの大スキャンダルを報告しましたが、事件は一向にして判明せず、結局、結論は不明のまま「どうやらニクソン大統領が任期半ばで辞任したようだ」と竜頭蛇尾で終わりました。 そのため日本ではこの事件の真相を知って語れる者は未だに皆無という状態です。まさにケネディ暗殺事件と同じ状態です。 結論から先に言えば、今回も話題になっているホワイトハウス内の録音テープの中身ですが、この当時はケネディ大統領暗殺に絡む会話の内容が問題だったのです。そのテープを議会から提出を求められたニクソン大統領は60数巻のうち18巻しか提出できませんでした。 そして、それらのテープの中にケネディ暗殺に関与する会話の箇所があったのですが、証拠隠滅のため意図的に消去しました。しかし、やがてその行為がバレてしまい*、いずれ下院の弾劾が始まるので、苦渋の中で大統領職を辞任してしまいました。 *(この時の消去の過程がリアルで物語的に圧巻なのです)いづれ書籍や映像にします。乞うご期待です。 当時、ケネディ暗殺後にRICO法が制定されたためシンジケート関係者と一緒にいただけで罪に問われました。まして、ケネディ暗殺に絡む隠蔽話などを国民に晒されたら、ニクソン大統領そのものが暗殺されます。それはケネディ兄弟の扱いをみれば組織の意向は暗黙の了解です。 だから、ニクソンは弾劾前に、事件の内容に触れない声明文を読み上げて、辞めるしかなったのです。 今回のトランプ大統領のテープはそれほど深刻とも思えませんが、それともなんでしょうか、彼もイタリー系です。ケネディ暗殺については肌で知っているはずです。なにかその辺に触れる件でも出てくるのでしょうか。成り行きを見まもりたいと思います。 これらに関連する話題はこれからが佳境です。*ケネディ暗殺・ウォーターゲート事件・ロッキード事件のテーマは皆さんが納得いくまで解説して行きましょう。乞うご期待です。 *Thre An Inconvenientes Truth,From was Japan.(日本発・三つの不都合な真実)                          予定 Amazonオリジナル    郵映☆VideO・文藝

2020年9月5日☆ブックエンドのテーマ

  本当は14日ころ仙台ジャズフェスの事を書く予定だったのですが、伊藤さんから「フミ生きてんのか?」と電話をもらい、心配架け申し訳なかったので、少し早めに始めました。   今年のジャズフェスは映像のみとなったので来年書きます。実はラインをもらったのですが、スマホが調子悪く、返事は...