2017年11月23日S&Gガーファンクルとケネディ文書について

11月10日のことですが、サイモン&ガーファンクルのデュオのうち、アート・ガーファンクルの単独来仙コンサートがあり観てきました。 場所はトンペイの川内キャンパス・萩ホール(旧松下記念館)です。ここは東北大学の片平キャンパスが手狭になったので、川内キャンパスを新設するさいに、松下幸之助さんが私財を投じて寄贈してくれたホールです。音響設備に定評がある1200席ほどの施設で、定礎は昭和46年頃です。 私が初めてサイモン&ガーファンクルを聞いたのは中学二年の夏休みです。間もなくお盆と言うとき、母に命じられ恒例の大掃除中でした。 あの100mはある上城の長い側溝をTBCラジオを聞きながら、シャベルでエッチラ、オッチラ黙々と作業をしていると、一度聞いたら絶対に忘れられないサウンドOFサイレンスのメロディラインが流れて来ました。それこそ「エエッ なんだろうこのメロディは」と耳にガビ〜ンと響きました。 それからレコードが欲しくなり、姉が志津川の朝緑にいくと言うので買って来てもらいました。ところがこのレコードがサイモン&ガーファンクル版ではなく、当時、競作だったマリー・ラフォーレのフランス語版だったので「サイレンス」が「シロンス」とか歌われたりしてあまり感じが出ませんでした。 そしたら次の年の三年生になると偶然ヒデと大森先生のクラスで一緒になり、アーティストの話をしてると彼がサイモン&ガーファンクルの「ミセスロビンソン」を持ってるからあげるよ、となったので頂くとそのB面がサウンドOFサイレンスでした。ちなみに同じ頃、善昭君からビージーズの「マサチューセッツ」をもらいました。 もともと、サイモン&ガーファンクルはトム&ジェリーというグループ名でデビューしました。するとやがて67年頃、ダスティン・フォフマン主演の映画「卒業」の中での主題歌「ミセスロビンソン」がヒットしてメジャーデビューとなりました。 その映画にサウンドOFサイレンスとスカボロフェアの2曲も入っていて同時にヒットしたものでした。 で、今回の萩ホールのコンサートのことですが、曲は「四月になれば彼女は」や「ボクサー」が前半に歌われ、中盤に「サウンドOFサイレンス」「スカボロフェア」などが歌われました。そして「ホームバウンド」「キャシーの詩」と10曲以上が歌われトリは誰しもが予想した「明日に架ける橋」で感動のフィナーレとなりました。 そして写真のことですが、せっかく、憧れのサイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルがトンペイのホールに来てくれるのは後世の歴史になるので、肖像権のことも有りますが、記念に1枚は欲しいと、一緒に行ってくれた人にソッと撮って貰うよう頼みました。 ところがカメラの準備中に手が滑ったのに気づかず、フラッシュ焚きとなってしまいました。すると流石はガーファンクル、「誰だよ」と私たちを睨みました。さらに、外していたメガネをかけて、歌いながら再度こちらをにらむので、怒りが如実に伝わって来ました。私は「申し訳ない」と心のなかでお詫びしました。 そんなこんなでアンコールも終り大拍手の中ですが、私は大声で「Thank you so much Garfunkel」と叫ぶとステージの袖に向かう後ろ姿の背中に「うん いいよ」と言ってくれたような気がしました。同行の人もまわりの人も「驚かせたかなぁ」と多少のリグレットも有りましたが、そのぶん更に思い出に残る一夜ともなりました。 自分の青春と共に歩んだS&Gに仙台、それもトンペイで会えるなんて、夢にも思いませんでした。以上です。 そして日本時間の本日がケネディ暗殺の日です。昨日のテレビ「世界の何んだコレ!?ミステリー」でも触れていましたが、いよいよCIAとオズワルドが繋がっていたと言う文書と、オズワルドを殺したジャック・ルビー*が、ダラス市警察にワイロを贈る、ズブズブの関係だったという文書も出てきました。 *ジャック・ルビーはシンジケート・マフィアで、シカゴの代表 サム・ジァンカーナから送られた、ダラス駐在のマフィアの構成員です。事件後にオズワルドを暗殺することを命じられていました。この暗殺のやり方をマフィアはダブルコンタクトと言います。 追記: 参考メデア

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