2019年4月1日☆ 新元号のこと思いつくままの逍遥記
中村草田男に「降る雪や明治は遠くなりにけり」とありましたが、ついに平成も終わりかけ「昭和も遠くなるのかなぁ」という思いです。 写真はかつて仙台市内を走り昭和51年に市電廃止と共に第二の活躍場を長崎市に移した、市電117号の最期の雄姿です。
この車両を見て懐かしくなる方も大勢いらしゃるかと思いますが、その長崎での活躍も先月30日で終わったようです。ご苦労様でした。
当時この117という番号は「いすゝず117クーペ」という名車を連想させて車好きの若者のあいだで人気の車両でした。
市電乗り場でこの117が来ると何かしら「おっ、ラッキー」となったものでした。ただ長崎ではゆえあって1051と車番は変りました。わたしも次の年かに長崎行った時、再会して嬉しくなった記憶があります。
今回の改元の特徴は言われているように出典の違いにあるようです。元々は中国の易経や論語などの漢籍の古典から縁起のよい漢字を選び並べていました。なぜ慶語かと言うと「治国平定・天下泰平」で国難となるような災い事が起きないようにと驗(ゲン)を担いで祈ったからです。これは現在も同じです。
では、なぜ年号が必要かというとコヨミを制定するためです。第一義的には宮廷行事の予定を書き込むためでした。次に年貢の納め時やイクサの時に地方の兵士を召集するため「何年何月何日までにどこそこに集合せよ」と勅令を発するのに時制の一致が不可欠だったからです。そして民衆的には種蒔きの準備などで暦が必要です。
そのため中国では「土地を治め 時を告げるのは雄鶏の仕事」ということで皇帝が制定していました。日本では奈良時代あたりまで中国との国交のため百済暦*1というカレンダーを使っていましたが、大化の改新の前あたりから陰陽寮が出来て独自の和暦になったようです。しかし漢籍からの引用は現代まで踏襲したようです。
*1:百済暦とは当時、朝鮮半島の楽浪郡や帯方郡・玄菟郡・臨屯郡などの四郡は、中国の秦の始皇帝の孫達(前漢の武帝)が設置し地方役人として治めていましたが、西暦239年に倭国の卑弥呼が遣いをし土地は日本の領土でした。そのため外交的に毎年・新年の朝賀に使節が中国まで出向ていました。(今の大使館業務と同じ)
後に(西暦313年には百済領となり3〜6世紀まで任邦日本府を置いた)それで朝鮮は中国の柵封下にあり、時制が同じコヨミだった百済暦が参考として必要だったのです。また、百済王・新羅王の長男を日本語を学ばせるため人質※として保護していた。(彼らと後の百済からの亡命者が色々な物を日本に伝え多少その文物が残った)
※百済の王子・豊璋などでその弟善光または(禅廣)は亡命して後に「百済の小錦」を受爵し割りと厚遇された。
帰化した弟の善光王は日本にハチミツの採集技術「養蜂」を伝えたと言われる。桓武天皇の母親「高野新笠」はこの眷属(秦の河勝・弓月の君)で京都の太秦から出てると思われる。これが桓武平氏の始祖とされる。
のち663年に百済の支配下にあった新羅が反乱をおこし「白村江の戦い」になりました。日本は援軍を送りましたが挽回出来ず引き揚げました。これを機会に半島にあった権益を手放しました。
日本はこの戦争を契機にそれまで奈良・近畿地方を中心の国柄でしたが、新羅と中国軍の来襲を恐れて、筑紫に水城を築いたり太宰府に防人を置いたりしました。また関東および東北地方を開拓するなどの国力を拡大するため、律令制の制定を行い本格的な貴族・宮廷官僚の制度を導入しました。
それら中央集権のため日本独自の元号・暦を作り多賀城など各国府に配布しました。こうして初めての一応の統一国家の国柄が形作られました。ちなみにこの度の出典の「万葉集」が成立したのもこの前後です。そのために「防人の歌」などの東国訛りの和歌*Ⅱも選ばれています。防人の歌はもの悲しくも*Ⅲ味わい深い歌です。
*Ⅱ:入間道の大家が原のいわいえづら引かばぬるぬる我に絶えそね (東歌)
*Ⅲ:唐衣裾に取り付き泣く子らを置きてぞ来のや母なしにして (他田舎人の大嶋)防人など。
さらに国書の万葉集から「令和」の元号を制定した安倍首相の先祖が平安朝の陰陽師「安倍の晴明」です。コヨミ作りはすでに飛鳥時代に聖徳太子が派遣した遣隋使などが陰陽道を学んで来たので、国内でも陰陽寮と占いを司る天文台を置いたりしました。
その総理が中国振りの漢籍ではなく国書の万葉集から選ぶのは、なにかくしき縁(えにし)を感じます。なんでも日本風にアレンジして、良いものを世界に提供しなければならないこの国の使命でしょうか。
最後に、新たまの春と梅の開花を寿ぐ作品集の序文*Ⅳの典拠の後半「梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」を私流に読み下せば「梅花の宴に出る女官達は鏡の前で白粉のお化粧をし 貴公子達は腰帯に蘭の香りのする匂袋を薫らせて」参加した梅の花見の様子を詠んで初春の訪れを寿(ことほぐ)とても風流な序文ですね。
◎現在の春の園遊会につながるのでしょうか。雅(ミヤビ)な春のお花見だったようです。
*Ⅳ:前文の「新春令月 気淑風和」は中国の後漢の詩人張衡(78〜139年)の『帰田賦』の中の「仲春令月 時和気清」の古典から引いた可能性ありとか、後半部分の梅の花見に関しては太宰帥だった大伴旅人が当地で実際に催した「梅花の宴」の情景を序文に詠んだようです。(後半部分は三浦氏オリジナルの見解です)(笑う)
新元号が万葉集第五巻「梅花」の序文のように驗(ゲン)の良い「令和」な時代でありますようお祈り致します。
◎万葉集や平安朝の雅(ミヤビ)のことなら拙書「風に吹かれて」を参考になさることをお薦めします。そしてこれから誰も知らない万葉集の謎などを語っていきましよう(笑)まず「万葉」や「歌枕」とは何ぞやからです。
乞うご期待。
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