2019年5月6日☆ 気仙沼聖書第一パプティスト教会のことの逍遥記

昨日は5月5日で全国的な日本晴れでしたね。令和時代の最初の「こどもの日」が天に祝福されて、未來を担う子供達にはささやかなプレゼントになったようです。 それで、今進めている脚本のため、気仙沼第一聖書パプテスト教会に行って来ました。 と言うのも物語を構成するのに、時代背景を考慮しなければならぬのですが、やはり明治時代の教会のことなので不明な点が2〜3あり牧師の峯岸先生に教えを乞うてきました。 そして先生の丁寧な説明にすべての疑問が解けて、続けて教会員の皆さまと日曜礼拝も受けてきました。その時も祭壇の後ろの十字架が五月晴れの陽光に輝いていました。まさにハレルヤでした。 あと、峯岸牧師ご夫妻に私の荒砥にいる母に慰問のことをお願いして、長年の苦悩を少し和らげて頂きました。きっと母もわかってくれるでしょう。 さらに天気も良いので、陽気にさそわれ教会のあたりを逍遙して来ました。津波の時、この地域が無事だったことに「天のめぐみで幸いだったんだなぁ」と実感していたので、海岸線まで行ってみたかったのです。教会の前の横断歩道を渡りすぐ海に向うルートです。道は工事中ですが周りの風情を楽しみながらの散策となりました。 途中、新しく出来た「JR岩月駅」の所で犬と散歩中のおじさんに会ったので、新駅の感想を訊いてみました。すると「そんな鉄道でもないBRTなんて、元々、国道45線にも宮交バスが走ってるのに誰が乗るかぁ」と、すごい勢いの「気仙沼ナショナリズム」全開のレクチャーを受け、久しぶりの驚きと可笑しみを感じました。 それで「村井君もこのナショナリズムに気づかずに、等閑に付してしまい後で怒りを買ったんだよなぁ」と可笑しくなりました。「気仙沼イズムは何年たっても健在なんだなぁ」とあらためて思いました。 浜辺に降りかかると目の前には「緑の真珠 大島」が美しくひかり輝いていました。森高千里の歌『渡良瀬橋』※の♪「きれいなとこで育ったね」♪という歌詞が浮かんで来て、誰かさんの「日常の風景だったんだぁ」と思うと、うれしくもなりました。 ◎ いずれ、ここは鉄路が復活したなら江ノ電の「鎌倉高校前駅」と並ぶ写真スポットになります。 ※また♪「床屋の角にポツンとある公衆電話覚えてますか」♪覚えてますよ。今は無くなりましたが美容院の前あたりに電話ボックスがあって、そこから電話をくれて「ギャラが足りなくなりそうで焦った」というエピソードを、思い出し笑いしながら書いた手紙を頂いたので、車でここを通るたびに当時が甦り、嬉しかったのです。 やがて浜に降りると、もう巨大なコンクリートの防潮壁が完成していて、自分の発案とは言え少し寂し気持ちになりました。生業のためとは言いながら、やはり自然を変えるのは些か心侘びます。たぶん、誰かさんも幼いころ夏にはこの浜辺で泳いだろうから、せめてその原風景が残っている内に来てあげたかったなぁと思いました。 ちょうど船入江に三人の地元の女子高生がいたので、むかしの砂浜はどのあたりか訊ねると「ここの右手、南側に少しあった」とのことです。時間だけが無情に過ぎていくようです。その時間の経過で今、あの震災をもとに映像化したいテーマがあり、進めているところです。 当初は余りにも生々しく遠慮していました。しかし、「リアル過ぎて、きっと、描き切れないだろうなぁ」と思ってた映画「タイタニック」でも見事に画き、むしろいまでは、共感や支持を得ており、また、作って残すことがあの震災に遭った者の使命か?、とも思っています。 ◎ただ、そこには当然、個人情報もあり「自分が登場人物のモデルなんてイヤだ」とか言われるかと思いますが、ぜひ、ご理解頂くと嬉しいです。震災の風化を思い、皆さんの冷静で勇敢だったエピソードを、メモリアルな映像物語にしたいのです。あわせて皆様の協力もお願いします。 この日、朝早く出たので途中、野田で時間調整に、むかし、ヒデの元カノだった旧姓K.Oさんが某所にいると、旧姓T.Kさんに教わっていたので行ってみました。なんせ、この間、二回も空振りで会えませんでした。その度に「午後1時までなので帰りました」と告げられて,わたしも名乗ることもなく、残念となってました。 今回も「どうかなぁ」と冷やかし半分でしたが、なんと、前回の経緯が、皆に伝わってたようで、即座に呼び出してくれて「気仙沼ゴシップ恐るべし」です。でも、自分とは気づかぬだろうと「歌津の三浦○雄です」とボケて名乗ったのですが、見違えられる事もなくすぐバレました。そして懐かしい話しとなりました。 ※本当は遠くからそっと、その後の青春を確認したかったのです。それがつい大げさな対面となりました(笑) 彼女は当時から小柄で美人でしたが、そのまま変わらずで、かつノリも良く、ヒデをネタに楽しく盛り上がりました。また作家の取材魂と学者の探究心満載で、その頃、カルメン・マキに似ていると噂のお姉さんもいて、その後どのように青春を過ごしたのかも気になっていました。すると今は名古屋いるとの事でした。 かつてのファンの方々への報告でした(笑) という訳でK.Oさん、有難うございました。これからもお元気にお過ごし下さい。また、時間があったら寄ります。以上、この連休後半の逍遙記でした。 追伸:5月26日は京子さんと共に誕生日です。そして27日が伊藤さんとマゴの誕生日です。おめでとう御座います。また先日は気仙沼で伊藤さんにお世話になりました。プラザホテルは震災後のかさ上げ工事で、入り口が不明となり確認の意味もありました。そして帰り際に伊藤さんの兄上に会うことが出来て良かったです。 兄上にお会いしたのは何年ぶりでしょう? 以前は同じ郵政の職員でした。今は阿部長の専務で気仙沼・志津川の 統括者で、数年前まで私の兄が志津川の工場の責任者だったので大分お世話になりました。そんな話を三人でして旧交を温めてきました。もとを正すとお互い母方のルーツが同じですが、歌中時代は気づかずでした(笑)   そんなこんなで我ら二人、最強のコンビが歌中で出会ったのは奇しき縁でした。それを証明するように今日明日のこの驚くばかりの好天気です。おまけにアメリカからトランプ大統領夫妻まで、お祝いに駆けつけてくださり光栄の行ったり来たりです。日本国政府は大統領ご一行に丁重なおもてなしをして頂くよう希望致します。了

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