2017年9月11日☆ J・S・Fと阿部監督応援団とのこと

昨日は恒例の楽しい松竹阿部勉監督の応援団の集まりがありました。 ちまたではこれまた大イベントである、ジャズフェスの二日目と言うことで大なにぎわいと言ったところでした。 ちなみにジャズフェスの発展は目覚ましく、今回は会場のあちこちで「日本一のジャズの祭典」との声が聞こえました。「本当にそんなんなったのかなぁ」と、深い感銘を受け、やり続けることの大切さをあらためて実感させて頂きました。 回数も27回目と言うことですが、ステージ・会場の広がりもすごくて、当初は定禅寺通と勾当台公園、一番町付近だけでしたが、最近では西公園から仙台駅をはさみ榴ヶ岡公園までも広がりました。 この距離はなんと約4Kmで、ニューヨークで言うとマンハッタン島*の東西の幅がハドソン川からイーストリバーまでがほぼ4Kmなので、これに匹敵します。それほどのビッグイベントに発展しました。 *参考までに記すとマンハッタン島の南北間が約20kmで、仙台の泉パークタウン・泉中央駅から長町・富沢駅の名取川沿までの距離です。 この発展もひとえに市民のみなさまの協力と、さらに全国のプロ・アマを問わない、アーティストの熱意によるものと思います。心からの感謝を申し上げます。いずれ、これからはこのジャズフェス出演が次世代の「プロへの登竜門」**になった。と言われるくらいに成りたいと思います。 **アメリカのレーベルからオファーが来てプロのミュージシャンになる等のレジェンド・伝説 (ちなみに観客動員数は昨年より9万人増えて79万人)になったそうです。 ネットで全世界にも伝わりこれもクール・ジャパンと地方創生でインバウンドの1つになったなぁと思います。 これからも、さらなるインバウンドのテーマ・物語を構築して行きたいと思います。よろしくお願いします。 「 ヴィバ 定禅寺ストリートジャズフェスティバル! 略してJSFに God bless you 」です。
そして恒例の阿部監督の会では、今回も津田団長の「断腸の思い」から始まるのですが、その前に趣向をこらした「阿部勉映画塾」から入りました。 内容は映画界の裏話や業界の発展状況についてです。みな熱心に視聴していました。その中で私の心に響いたのは監督が若かりし頃に授(さず)かった「走るな」と言う先輩からの芸術家としての普遍的な心構えです。 かつて私も肝に銘じていた事ですが、おかしな職場にいたせいで何度か失ないそうになった事もありました。初歩的なことですがとても大切な事と再認識しました。 それで、今回のハイライトはセニョリータ先生の案内で出席していた、NHK仙台放送局の超イケメン記者さん「バルテンシュタイン・永岡 海」さんのことでした。 (バルテンが姓・永岡がミドルネーム・海が名前)のドイツ系の二世で、高身長に足が長く、さらに声が良く歌が上手いのでジャニーズ系をはるかに越えていました。 そしてここでバルテンさんをめぐる、ファンの大騒動があり、かつて三浦友和さんと自称その弟と名乗っていた三浦二三男が命、と抱き付いて離れなかった中村さんが、急にバルテンさんに乗り換えると言い出し、一緒に写真を取りまくり、周りから大ブーイングを浴びていました。 わたしも三浦二三男ファンクラブの規則違反として早速破門という処置をとりました。当ファンクラブとしては前代未聞で、いくらネタとは言え絶対にわたしを裏切らない、幼い時からの親衛隊長のE様はじめ各位に申し訳ない、と泣いて馬謖を斬りました(笑)(三浦友和さんには支倉常長役を配役すると監督に伝えてあります) と言うようなドタバタも有りましたが、今回の監督との会談のなかで、いよいよ松竹がアマゾンビデオと提携するという話が、わたしの出色の喜びとなりした。そして今後がさらに楽しみになりました。「神に感謝します」

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