2018年12月24日☆ 新たな歳に向かって

今年もあとわずか、いよいよ新年に向かう準備も追い込みの時期となりました。 振り返れば多難な歳でもありました。自分のことで言えば「自重しなければならない」と決めて、ほぼ活動停止の状態の、三年間の最後の歳でしたがなんとか無事に過ぎそうです。(嵐を避けて凪を待つ) まずは静かに見守って頂いた皆様に感謝です。 そして、写真は恒例になった市民広場のスケートリンクの様子です。今年は偶然シネマ東北さんの映画「あの日のオルガン」のプロモーションも引き受けることになり、後半はひさびさに生気を取り戻しました。 また、その流れで次回作の脚本も試みることになり、その中で仙台発祥のスケートも盛り込んでみました。無事、企画が通れば皆さんに「あっ」と言って頂けるのではないかと思っております。 その他にも見所を加えて提供出来れば幸甚です。
次に 今月16日に故西澤先生の「追悼の会」がウェスティン ホテルであり出席しました。 先生の功績は私があえてここで述べるまでもないですが、先生と同時代を生きられただけでも光栄でした。おまけに町内会も隣で米ヶ袋です。私の散歩コースでもあります。 ちょうど私の職場が一番町に近いので旧丸善一番町店でよくお見かけしました。先生も研究室が片平キャンパス時代なのでまだ若くて有名になる前です。 当時学会ではもう偉人でしたが、マスコミもその意味に気付かない頃でした。いつものように私が昼休みに本を探しに行ったり、さらに帰りに立ち読みや書籍を買うために丸善に寄ると、あの大きな目でよく本棚を睨んでいました。「きっと先生の学生時代からの習慣なんだろうなぁ」と思っておりました。 いずれ私も修士はトンペイに行こうと思っていたので、学部は違いますが先生の著書も良く読んで、研究者としての心構えなども勉強させて頂きました。そのお陰で日本での研究と英国などの研究先進国とのレベルの違いなども把握出来たので、自分の研究者生活においても大いなる自信を持って挑むことが出来ました。 大森先生とはぶつかりながらも研究の基礎を教えて頂きましたが、西澤先生からは少し離れた所から書籍と「門前の小僧習わぬ経を読む」で、その研究手法を独学で身に付けさせて頂たなぁとの思いでした。また、大森先生の時と違って、叱られない分得をした気分でした(笑)。西澤先生もお弟子さんには大部厳しかったそうです。 また、いま現在自由にパソコンを操れるのもこの時の密かな自主研究の賜物です。職場に本格的にパソコンが入って来たのは平成の初め頃ですが、当初はとても使い物にならず、等閑に付して触りませんでした。若いひとはなんだパソコンも触れないのかと思ってたようでが、私にすれば余りにも稚拙だったからです。 その動かないパソコンとニラメッコ(固まって)しているピーポーを見て原因を尋ねるのですが、誰も答えられないのです。呆れました。何の事はない当時は通信速度が遅いのに、やたらクリックをしてコマンドーを送ると、データが重なり処理仕切れず固まっただけなのです。基礎が分からないとこう言う事なんだなぁと思いました。 そしてマイクロソフトがウィンドウズ95を出した頃、これは使えるかなと思い98ノートから使い始めました。それでも初めは求めるレベルではなく我慢して使うという感じでした。その電子コンピュータ時代も終わり、これからは量子コンピュータの時代に入るのだそうです。 すると現行コンピュータはオールドコンピュータと呼ばれるのだそうです。なにやら西澤先生の他界と共にコンピュータも第一世代の終焉を向かえ、新たな時代が来るようです。その量子コンピュータについては、来年以降に触れる事になります。 先生の功績を追いかけ「高度情報化社会」を乗り切る事が出来ました*感謝申し上げます。 *単なる、タイプライター・電卓・黒電話をパソコンやスマホに替えたのは、90%先生の発明発見でした。 あわせて、先生のご冥福を祈りつつ、新たな歳に向かって行きたいと思ってる次第です。 では、皆様も来年こそはもっと「良いお歳を」です

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