2015年10月22日☆ 今朝の河北新報から
今朝の河北春秋に野球のことが面白く取り上げられてましたので、それに触発されて書いてみたいと思います。文末の怒りに、つい受けてしまいました。
また今日はドラフト会議の日でもあります。
わたしも何とかして育英の平沢遊撃手が楽天に来てくれないかと願うファンのひとりです。野球をやってて一番面白いのはピッチャーとキャッチャーです。その次が遊撃・ショートです。平沢選手は走攻守に優れバッテングも良くおまけに野球センスが良ので、久ぶりにスター性を感じます。
ちょうどチームも二遊間が補強・更新の時期とかで加入してくれればグッドタイミング、さらにファンも増えるはずです。ただ、素人のわたしから見て、バッターボックスでの脚のスタンスがやや広くて、速い変化球に苦労しないか?という点です。たぶん、本人も知っていると思うので余計なことかも知れません。
ええ、それでもって今朝の河北さんのご立腹はドラフトでは無く、巨人の八百長のことです。たしかに69年頃に「黒い霧事件」とが有りましたが、その頃の私はもう野球にはほとんど興味がなく「野球で八百長なんて可能か?」ぐらいの感覚しか有りませんでした。プロレスじゃないんだから(笑)
ただ、かつて、私が野球を教えたヒデが甲子園に行けそうなくらい頑張っていて、県大会で三回戦を超え準々決勝まで毎年行ったりするので、多少期待したりしました。そんな彼と「八百長は本当に出来るか?」なんて話をしたことも有りました。なぜなら、野球というのはどんなに頑張っても三割しか確実性がないのです。
つまり、いっかな監督がサインを出しても、選手は確実にはその技を履行出来ません。せいぜい三回に一回うまく行けば御の字で、そんな優秀な選手は滅多にいません。また、そんな強豪チームが攻撃を始めたら、永遠にスリーアウトチェンヂにならず、コールドゲームでしか試合は決着せず終了しません。
そんな状態で一体どうやって試合をコントロールするか?「不可能やろ」もしそれが出来るなら反対に弱小チームでも確実に優勝出来るはずだと思っておりました。
しかし、後にアメリカのユダヤ系組織人の大物「アーノルド・ロスタイン」(ラッキー・ルチアーノの師匠)がワールドシリーズで八百長を組んで大儲けしたと知り、すこし考えるようになりました。そして分かった事は必ず勝つ事は不可能でも、必ず負ける事は不可能では無いという事です。つまり、わざとエラーをする事です。
このワールドシリーズときはケネディ大統領のパパも、ちゃっかり儲けてたはずです。もっとも後にシンジケート・マフィアが全米の競馬場の八百長を取り仕切っていたので、野球賭博も難なくコントロールしていたのでしょう。
それで思い出し残念なのが、ワールドシリーズで優勝して、仙台に来て巨人とゲームをしたビッグレッドマシン・シンシナティレッズのピート・ローズ選手です。彼は未だに米球界から追放されたままです。昨年かに復帰の噂も有りましたが、立ち消えのようです。
野球の想ひ出は数々有りますが、そのひとつがヒデとのことです。小学の時あまり野球に関心のない彼を誘ったのは、身長が高く一塁手に向いていたからです。ポジションを決める時「ヒデは背が高いから一塁手な」てな感じでした。その内にチャッチボールをしていると球筋がいいので、私がミットを構え投球のコツを伝授しました。
そうしましたら、私達の野球好きを見ていた漁脇理事で、うちの親戚(仲向)でさらにヒデの叔父、三浦充一さんがユニホーム一式全員分を小学校に寄贈してくれました。これを着てその後伝統となった、伊里前小学校との対抗戦の第一回目が始まった訳です。
この時わたしの「背番号事件」(笑)があり、その春、中学にあがり、この事で伊藤さんと少しもめてやがて親しくなるのでした。それはY子さんが絡む話で彼の誤解でしたが、私はあえて訂正しませんでした。それよりもその事件を知っている事のほうが驚きでした。その後「ひとの縁とは計り知れないものだなぁ」と感嘆しました。
そのヒデにピッチング練習の時、私が知ったかぶりをして、カーブの握り方と腕の振りを教えたのですが、小学時代はあまり変化せず「今のは曲がらないカーブだな」などと言ってキャッチボールで遊んでいました。
そして歌中に行くと毎年五月に「校内オリンピック」といって球技大会があるのです。
大会開会式の歌が♪゜「若き力と感激に*:.。燃えよ若人. .。胸を張れ.:♪゜歓喜あふれる・*ユニホーム:.。. .。♪揚がる凱歌に虹が立つ*情け身にしむ・熱こそ命♪゜競え青春*:.。清きもの*・♪」♪と、かつての宮城国体のテーマソングだそうです。これを歌い盛り上がり、全校各クラスが四区に分かれて対抗戦をする訳です。
三日間にわたり屋体や校庭いっぱいに生徒が試合を展開して、それは華やかで壮観なものでした。そんななか私が4ブロックの野球に出たら、ヒデも二学級で2ブロックの野球に出てきました。それも野球部に入ったので一年生ながらピッチャーです。
その時わたしは、まぁ「小学いらいのヒデだ」と半分鼻歌気分でダッターボックスに立つと、初球はまぁまぁの速さで外角低めの直球でストライクでした。そして1球目を見送り次は打つぞ構えると、なんといきなりカーブを投げて来て、わたしは「おッ、ぶつける気かぁ」と思わずのけぞりました。さらに、「エ エーッ いつの間にカーブが曲がるようになったんだー」と思っていると、3球目もカーブで、バットを振りましたが打たりませんでした。
まぁ、彼とは兄弟同然の仲ですが、わたしの思わぬ不覚で、今でも忘れられない想ひ出になってます(笑)
あとは、三年生になると給食後に毎日した十学級と十二学級のソフトボールの試合です。食事が済むとどちらからともなくグローブとバットを持って、雨の日以外は必ず毎日でしたね。二階の窓からは女子が観ているので良いところを見せたくて頑張りました。この想ひ出を十学級の山内孝樹さんに確認すると「いゃ~毎日ゴリに動員されて大変だったよ」とぼやかれました(笑)です。
と、青春の想ひ出は尽きませんが、今朝の河北では野球賭博のことを以下のように怒っていました。
『きょうはドラフト会議が行われる。青春の日々を白球にかけた若者たちを、清らかな舞台で迎えてあげたかった。たまったうみを出し切るしかない。そうしないと熱血の父親が出てきて、ちゃぶ台をテレビごとひっくり返す』と父、星一徹の出現を予言して警告していました。受けました。同感です。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2020年9月5日☆ブックエンドのテーマ
本当は14日ころ仙台ジャズフェスの事を書く予定だったのですが、伊藤さんから「フミ生きてんのか?」と電話をもらい、心配架け申し訳なかったので、少し早めに始めました。 今年のジャズフェスは映像のみとなったので来年書きます。実はラインをもらったのですが、スマホが調子悪く、返事は...

-
本当は14日ころ仙台ジャズフェスの事を書く予定だったのですが、伊藤さんから「フミ生きてんのか?」と電話をもらい、心配架け申し訳なかったので、少し早めに始めました。 今年のジャズフェスは映像のみとなったので来年書きます。実はラインをもらったのですが、スマホが調子悪く、返事は...
-
昨年の12月8日頃中国で(初出11月17日湖北省)、新型インフルエンザが出始めたという一報が伝わった時から、例年の事ながら「あ~この冬バージョンも始まったなぁ」と思い警戒していました。 昨年の12月8日頃に中国で(初出は11月17日湖北省・55歳住民)、新型インフルエンザが出始...
-
先月お知らせした新型コロナウィルスでは、元ドリフの志村けんさんが3月29日に亡くなられショックでした。『 東村山音頭 』以来どれだけ楽しませて頂いたか数えきれません。ご冥福をお祈り致します。 その新型コロナもなにせデータがなく、手探り状態だった傾向と対策も、ほんの少しでは...
0 件のコメント:
コメントを投稿