2016年5月26日☆ 司馬さんとZARDのこと
今年は司馬さんがなく亡くなって20年だそうです。ZARDの坂井泉水さんが亡くなったのが2007年の今日です。わたしの誕生日になんて事だろうと思いました。
お二人に思い入れが深かった分、淡く書きたいと思います。
学生の頃「面白いよ」と先輩に勧められて以来、司馬さんの作品は全て読みました。一番最初は「坂の上の雲」全六巻を立ち読みだけで30日で、引き続き「竜馬がゆく」全五巻を同じく立ち読み、20日間で読み切りました。頭休めと娯楽には最適でした。
ちなみに立ち読みして一番快適なのは高山書店でした。わたしの知識の八割はこの高山書店・丸善・金港堂から立ち読みで得られたものでした。その高山書店も今はなく時代の変遷を強く感じます。しかし後にEさんに立ち読みのコツを伝授するため、この話(秘伝門外不出三浦流)をしたらウケてくれたので余計に嬉しくなりました。
結局、試験も参考書や教科書も買わず丸善の立ち読みで済ませてしまいした。(一番町時代の丸善なので、片平や米ケ袋にも近く、ときどき西澤先生もお見かけしました) そして私は「西澤先生にノーベル賞を取らせる会」の自称会長です。
当時、司馬さんと松清さんは年間の印税収入が、二人とも三億円を超えて、毎年長者番付に載ってました。私の作家人生のモデルでした。よもや、出版界がこんなにショボイ事になるなんて信じられない思いです。そして松清さんの作品は全部読み切らずに、半分ほど残し今後の楽しみにとって置いてます(笑う)
そんな司馬さんを一層リスペクトするようになったのは、ベトナム戦争の終結に対する「予言」からでした。当時、米国はベトナムの泥沼に腰まで浸かりながらも、その膨大な軍事費で連日、猛攻擊を繰り返していました。そしてジャーナリズムも懸命に戦争の行方を報じていました。
この頃の若者には悩みの種で、ビルは徴兵逃れでイギリスに逃げ、ジョージは州空軍にいれば大丈夫と思ってましたが、危うく州兵も動員されそうになり大いにあわてました。さらに後にこの兵役忌避問題が大統領戦のアキレス腱になりました。再び悩されながら二人とも大統領になりましたが、当時はそれほど深刻で大問題でした。
そんな中司馬さんにもレポの依頼がきて、ベトナム観戦記『人間の集団について』を出すことになりました。そのあと書きに「やがて北が南下して来て終わりになるだろう」と予言していました。ただ、当時アメリカが手を引くことは誰も想像だに出来ず、わたしも「エエッ」と思いながらも、等閑に付していました。
ところがパリ協定を結び米軍も撤兵し、一応安定したかと思った1975年に突如、北が南下してサイゴンが陥落し、北のボー・グェン・ザップ将軍、ホー・チ・ミン首相の勝利となりました。多くの人が寝耳に水となった訳です。その時わたしは司馬さんの慧眼に、ジャーナリストとインテリゲンチャの在るべき姿を重ねました。
「作家とはこう在らねばならぬ」です。
その司馬さんも「韃靼疾風録」を出した後ペンを置き創作を止めました。理由は当時の狂乱のバブルに失望したようでした。自分の書籍より「金儲けの神様」「邱永漢」が売れることが納得がいかなかったようです。特に仙台での売上を気にしたようで「あのインテリの塊の仙台が、自分より邱永漢を読むか」と思ったようです。
21世紀を目前にした1996年に亡くなるのですが、その前に「二十一世紀に生きる君たちへ」いう文章を残し、内心は困難な時代になるだろうと思いながらも「決して挫けないように」と、まだ見ぬ明るい未来を高らかに謳い、格調高い名文を残し逝きました。
その後「みどり婦人」が東大阪の自宅敷地に司馬遼太郎記念館を作るのにあたり、寄付を募ったので些ですが応募しました。数年後、訪ねてみると記念館の庭に銘板が有り、そこに自分の名前も刻まれており、少なからず誇らしく思いました。永遠に残ってくれるものと思っています。
ZARDの坂井泉水さんとの思い出は、彼女の名曲「サヨナラは今もこの胸に居ます」の曲想が素晴らしいので、その事を賞賛して伝えると、シングルカットするさいに再録音しました。するとかえって曲調が弾んで明るくなり、自分の感性を理解されたことが「嬉しかったのかなぁ」とか思ったことです。
会ったら訊きたいなと思ってました。今となっては確かめようもない事ですが心に残る思い出です。合掌
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