2011年9月19日☆ 復興と歌津魚竜について

今朝の朝日新聞の「科学欄」に『太古の東北 海に爬虫類』とあり、「歌津魚竜」のことが載ってましたので、復興後の歌津の観光PRの一助に、と思い一文を供します。 歌津魚竜というのは1970年に発見された、世界最古の爬虫類<魚竜として>の化石で、その後の陸上で巨大化した恐竜のご先祖さまです。約2億6千万年前に生息していて、陸から海に活動の場を移したイルカ及びカジキマグロに似た、竜と魚の特徴を維持した爬虫類と両生類の中間種と思われます。 この歌津魚竜が発見されるまでは、ほんの近くの石巻市の稲井という所から発見された、稲井竜というのが、世界の考古学上で、一番古い化石として名誉を保っていました。こちらは2億3千万年前ということで、わずか3千万年のちがいで、歌津魚竜にその名誉の座を奪われてしまいました(笑う)。 当時発掘に立ち会った私は、嬉しいやら、申し訳無いやら、苦笑いしたのが昨日の事のようです。高校2年の秋でした。発見したのは東北大学の理学部の先生です。地質学の調査で偶然発見したと言ってました。 そのときNHKの撮影があり先生も若く23~4才に見えました。いまは教授をなさってると聞きました。連日撮影があり、てっきり自分も写ってると確信してましてが、残念ながら、一回だけ、それも下半身だけしか写ってなくてガックリしました。 その下半身男がなぜ自分と判ったかというと、当時私は青いジーパンとバイク用のブーツを履いてたので一目瞭然で判明しました。(足元の岩場を掘るわけですから脚しか写らない)のです。ところがこの事をいくら家人に力説しても中々了解してくれなくて、ちと不満でした。 私とすれば初のメディアデビューでしたが、下半身だけの出演で次回にかけることになりました(笑う)。 そもそも地質学や考古学に興味を抱いたのは、あの三陸の黒く連続して峨峨とそびえるリアス式海岸の、成立の仕組みが知りたかったからです。 リアス式海岸とは、スペインのリアス地方の海岸線が、三陸と同じように、鋸の刃のようにギザギザに入り組んで、港湾をなしている様から命名された学術用語です。ここも牡蠣の名産地だそうです。 三陸の地質は南は牡鹿半島から北は八戸付近まで、黒い粘板岩が特徴でその上に黒松が群生しています。この植生が「根付魚」といわれる近海魚を育む海の揺り籠といわれ、多くの魚介類が繁殖します。まさに三陸の大自然からの、あふれんばかりの贈り物です。 さらに北からの親潮と南からの黒潮が、金華山沖で合流するので寒流系の魚、暖流系の魚の多くが餌を求めあい、また同種同士が合コンして、多くの子孫繁栄が行われ世界有数の魚場といわれます。これらが三陸の豊饒な海の源です。そして神の惜しみない恵みです。 で、わたしが興味を持ったのが永遠とどこまでも続く、三陸沿岸の黒い岩礁、また、隆と聳える断崖絶壁です。すべて粘板岩、玄昌石と言われ「雄勝硯」の原石です。東京駅の屋根のスレートはここの石で葺かれ、世界的にも有名です。 そして、稲井竜も歌津魚竜もこの粘板岩、玄昌石の中から発見されました。稲井竜の発見はやはりスレート用の玄昌石の切り出し場からでした。これらの竜が生息した時代は古生代から三畳紀の間で約2億5千万年前から3億年まえ前後です。 この後が中生代、ジュラ紀で日本にはかつて、存在しなかったと言われ続けた「首長竜」が生息していた時代です。映画、「ジュラシック パーク」はこの辺の年代が舞台、テーマです。 それで、この日本には居なかったと言われた「首長竜」が、福島県の高校生によって発見されたのも忘れられない出来事でした。わたしが中学3年の時で、ちょうど、その年の夏休みになんとしても、粘板岩の生成が知りたくて、断崖をよじ登り調査した年の秋の事ですから、印象深い出来ごとでした。 また、学説に無い「首長竜」の発見がショックと混乱に拍車を駆けました。今に繋がる「フタバスズキリュウ」のことで大発見でした。で、この時の発見者の高校生の方は後に考古学の世界に進んだと聞きました。 まっ、わたしの場合は地質学も考古学も専門ではなく、ただの探求心でしたので、新発見云々は問題ないのですが、実はこの中3の夏休みに行った粘板岩の調査で、新たな疑問にぶち当たったのでした。 ちなみに、その疑問が氷解したのが、直き最近2008年のことでした。この年新たな両生類の世界的大発見が、歌津で有ったからです。 そう、わたしの粘板岩の調査で生じた疑問はずっと解決される事なく、この2008年の夏まで持ち越されていました。これがチューター、指導教官のいない専門外の悲しさですね。あとは作家としてのスキルを駆使して解析する訳ですが、ただ、粘板岩、玄昌石、玄武岩の組成については未だに分からない点が残っています。 で、わたしを長い間悩ませた、中3の時の調査のことですが、なんと、粘板岩の崖をよじ昇っていた時、なに気無く手を懸けた岩が急に割れ、中から「ウズラの卵大」の小石が出て来たのです。 「これは、なななぁ~んだー」ガーンです。      なんと周りの地層を良く見ると、粘板岩の中に丸みを帯びた玉砂利が混入していたのです。(丸い小石は河原で生じる物)で、浜辺にある砂利は大方、平べったい平面的な小石が主です。 「てっ、事はナニカー、ここが河原だって事かー」でも、足下の崖下は黒潮洗う大海原です。訳がわからなくなって来ました。(その他にも2つの疑問)で 大難題となりました。 ちなみに、この疑問をずっと引きずり、地学の専門家らしき方々に遭う度に教えを乞うのですが、誰も明確な答えは無く、2008年夏に東大の院生、中島保寿さんに出遭うまで、答えは持ちこされました。 「エー、玄昌石てぇー層理じゃーないのかー」という物凄い疑問譜???です。 そう、「層理」というのは玄昌石が出来る時、土の粒子が水底に沈殿し、粘土となって、何層にも重なった所に地圧が加わり地層<層理>が出来、さらに火山等の熱が加わってあの黒い岩、岩石が出来るのです。 そのため、「雄勝硯」の原石にしても「スレート用」岩石にしても、この層理を目印に横から軽く切れ目、衝撃を与えただけで、その層理にそって、簡単に二つに「パカーッ」と割れるのです。ですから、決してその中に「ウズラの卵大」の玉砂利が混じっていてはいけないです。 なぜなら、その組成が深い海底 の比較的安定した場所に、中国大陸の黄砂などの粒子が降り注ぎ、長い間沈殿して、層を成したところに熱が加わり出来た物と、自分なりに結論していたからです。もちろん、当時のどんな教科書にも、粘板岩の組成、成立ちは不明と書いてあったからでした。ジャン ジャン。 それが、突然、2008年の夏に東大の中島さんが同じ「歌津」の「唐島」という小島で「歌津魚竜」よりもさらに古い年代の、両生類の化石を発見し、世界的な業績を揚げたから、「さぁ~大変」となったのですが、同時にわたしの長い間の疑問<粘板岩の中に混じる>「ウズラの卵石」がどうてして形成されたかの疑問が、たちまち氷解するのでした。 そのいきさつは次回に乞う御期待です。
中学時代の調査から幾星霜、突然2008年6月 突然、南三陸で新たな化石発見が報じられました。それも歌津魚竜よりさらに古い年代の両生類とのこと。「ラッキー」です。これで世界的なタイトルが、またひとつ加わりました。 ただ、この時、わたしは現在手がけいて、製品化したワキガ用化粧水「君香」を早く世に出して、多くの人に届けようとバイオの研究に没頭していました。 ここで私に対してよく言われる「そんなに何からかにまで、どうやって考をまとめるの??? 頭の中は一体どうなってるのォー」というクエスチョンがよくありますので、その創作の秘密のほんの一端を明かし、読者の皆様にサービスとします。(笑う) 普段は小説、コンテンツ、経済学、政治・社会科学、バイオ、その他を順繰りに考えます。その時間割りは長年の習慣で、大体バイオリズムが決まってます。ただ、テーマによっては長考というときもありますので、まちまちです。 結論が出そうなときは何時間でも続き、2時間ぐらい考えても結論を得られないときは、別のテーマに移ります。その間に頭を切り替えるため、よくベランダに出て植物の観察とケアをします。これがまた、バイオの研究に繋がりますが、それが癒しと気分転換に役立ちます。 あと、寝るときは何も考えません。軽くお酒を飲んでそれでおしまいです。ただ、時には考えなければならいテーマがあり、かつ時間がない時は何個かテーマをピックアップして、明日まで結論を出すように、自分に言い聞かせて眠ります。すると朝には結論が出ています。(笑う) また、どうしても読なければならないけど、その時間のない課題図書などは枕もとに置いておきます。すると朝までにはちゃんと結論が出でいます。これを「まるでSFみたいな話」と家人は非難します(笑う)。 これがすこし過ぎるときがあり、これをS・K・Nと言うのですが、たいていいびきをかいて寝ているそうです。つまり飲みすぎです。そのS・K・Nという符号は若いときからの習慣で、知る人ぞ知るで笑いのネタになってます。それは何か不満があったときの自棄酒です。(笑う) それは、お酒を飲んで寝るとき<SAKEでも、KAxKURAxて、NERUKA~>と言うセルフの頭文字で、眠るとき「S・K・N」と唱えます。すると寝つきは♪goo~ goo~♪とGOODですが、多少がらが悪いのでこれ以上は書けません。(笑う)それでも朝には考えた結論はちゃんと整っています。(笑う) で、ときに、データがちがい結論が間違ってる時があります。そのさいは即「悔い改め」ます。そしてまた資料を点検し直し再検証します。そうしないと永遠に「理路整然」と間違った自説を唱えることになります(笑う)。また、進歩が止まります。 この習慣の出典はフォークソングの神様「岡林信康大先生」の「山谷ブルース」の一節を若いころ好んで真似たからです。♪~今日の~仕事はつらかった~ あとは~焼酎をあおるだけ~♪ です。 なんらつらい仕事なんかしないし、デガダンでもないのですが、男は大体こんなもんでしょう。 「フォークの神様こと・岡林信康大先生」のことはまた何時か、稿を改め書きしょう。力が入ります。(笑う)

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