2013年4月29日☆ 戦後レジームからの脱却について(予告編)

今日は奇しくも若くして亡くなった、及賢の命日でした。そしてまた、私が小説の第一作目「風に吹かれて」を起稿した日でもあります。本当は彼は私等より長生きして、私達の生きた証を後世に伝える「語部」になる人と思っていました。その喪失感は今も消えません。 当時私が研究していたのは終戦処理の事でした。いずれ自分も書くだろうと思っていた分野ですが、かつて先輩の司馬遼太郎さんが手がけようとして調査したが、その暗然たる歴史的経過に創作意欲を失い、ペンを折ったテーマです。 そんな中、後発で着手した自分も、その実態を知り、この国には決して触れてはいけない「タブー」禁忌と言うものがある事を知りました。 その触れてはいけない「暗部」「タブー」を解決する事なく、戦後の日本は出発しました。そして今その曖昧にしてきた歴史認識の不備で、韓国の竹島問題や中国の尖閣問題などに象徴される、チンケなイチャモンに絡まれているのです。 その触れてはいけないタブーの所産が「戦後レジューム」なのです。【参照】小説「野武士時代」 ようやくマスコミも本格的に手がけるようです。そこにはこれまでに無い、司馬遼太郎さんでも躊躇したテーマ(皇国史観)の「戦前」「戦後」と言う広範で莫大な出版市場が広がっている訳ですから、ビジネスチャンスと捉えているのでしょう。無理からぬ事と思います。 ただ、流石だなぁと思うのは松本清張さんが『昭和史発掘』で参考書的に書いて居てくれてます。 (文庫本全九巻、現在売れ切れ状態とか?) それで、戦後政府は意識して封印し、学校でも一応教科書に載せていますが、(近現代史)のこのセクションは、一律スルー、授業でも飛ばしました。それにも拘ず時々、習った事も聞いた事も研究した事もないはずの、国会議員とやらが、さもシタリ顔で松清さん、司馬さんを超えた、と聞こえるような、お粗末な戯言を臆面もなく陳開してますが・・・ それではどうかひとつ、せめて、司馬さんが「黒ではないか」と書き残すのを躊躇した歴史的経過と、松本清張さんが「ほぼ黒だ」と書き残した作品の、その成立過程の解説や、「いや~違う、真っ白だ、真相はこうだ」と言う珍説ならぬ論説を、ぜひ同じ枚数とボリームの論文で、二人を論破して下さい。 期待しております。ただの口先だけでは不可です。そしてセンセイとしてわたしに教えて下さい。議論するつもりは毛頭ありません。ただ、レクチャー、教えを乞うだけです。 議論百出、いまこそ、国民が真摯に向き合う時かも知れません。先送りはこれまでと同じく、日本原子力安全委員会<デダラメ委員長>同様、浅学菲才、学習不足にも拘ず、学歴過信で世間知らずの、夜郎自大なだけなのに、その自覚もなく・・・ 「自分もよう解らんけど、まさか、学歴とプライド上そうも言えんし」さらに「どうせ世間様も分からんようだし」てっことはナニカー、あとで聞かれたら記憶がマダラメになって消えた事にしてカ~「ここは、まっ、テキト~にごまかしておこう」と言う、いつもの超古典的な手を使った、無責任者として歴史に刻まれるでしょう。 長くなりました。賢ちゃんの命日なのですが、「なんだ~フミ、オチなしか?」と言われそうです。合掌。

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