2014年6月23日☆ 高杉晋作

来年のNHK大河ドラマのテーマが「高杉晋作」に決まったそうです。 若かりし頃、よく歴史好きの者が集まると、その時代の人物評をして楽しんだものでした。その中で幕末の志士となると、坂本竜馬派と高杉晋作派とに分れました。 わたしは高杉派ですが、先輩の千葉さんと狩野ちゃんは竜馬派でした。 当時、狩野ちゃんが借りてた小さな一軒家が、今の駅の東口から、楽天スタジアムに向かう、宮城野大通りに拡張された、その道の途中にありました。昔の仙石線「榴ケ岡駅」を降りてすぐでした。国鉄アパートのあたりです。 晩秋のある日、宮城球場で高校の秋季戦か何かを観ていたら「バイトを手伝え」と、二人が場内アナウンスで、私に呼び出しを掛けたそうですが、育英かの攻撃 が長くて、中々チェンジならず、プレー中は場内放送出来ない規則で呼び出せず、さっぱり出てこないので二人はご立腹で帰ったそうです。 その夜、サンマを焼いて、お酒を飲みながらNHKの大河ドラマを見て、人物評をしたものでした。 その時のドラマが司馬遼太郎さんの「国盗り物語」で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と戦国の英雄について話し合ったものです。 この次の年が子母澤寛の小説「親子鷹」で「勝海舟」の幕末物でした。今回の「高杉晋作」はそれ以来かと思います。あ の時のサンマにかけた醤油に白い「酸盛」シカモリが上がっていて、カビた醤油を生まれて初めて食しました。私がびっくりして訝っていると狩野ちゃんが「大 丈夫だ食べられんだぁ」と平気で食べているので驚きました。いまなら天然で植物由来のとても良い「防腐剤」があるのであんなにカビたりしません。 よる遅くまで飲みながら話し、フトンもなく、どう言うわけか、大量のカーテン生地があったので、それにクルマって眠りました。貧しくも忘れられない青春のひと時でした。 この頃、駅前の「遠藤チェーン」の中にTBCのサテライトスタジオがあり、よく授業をおえて観に行きました。一番印象に残ってるのが、まだブレイク前の「井上陽水」さんで、六月の梅雨の日にあのカリーヘャーに、膝のところが破けたジーンズを履いて「傘がない」を歌ってました。間もなく「心もよう」で大ブレイクしました。 続いてヴィレッジ シンガーズが解散し、ソロになった「清水道夫」さんも見えましたが、Eさんのことを思い出しちょっと複雑な気持ちでした。また、「天地真理」さんも来て大騒ぎになりました。三越には「平山三紀」さんも来仙し「真夏の夜の出来事」を歌ってました。 で、高杉晋作のことを知ったのがこのドラマを観てからでした。主演は宗方克己さんで、その奔放な生き方にシンパシーを持ちました。そしたら千葉さん曰く「君が高杉を支持するのは同じ坊ちゃん育ちだからだよ」と言われ、すこし納得するところがありました(笑う)。 確かに高杉も長州藩の家老が勤まるくらいの家柄の坊ちゃん育ちですが、その事蹟は半端ではありませんでした。 むしろ、その活躍が後の廃藩置県に繋がる武家の世の否定で、のちの市民社会(英仏的な)への道筋を拓いたのですから、彼が結核で若くして亡くなったのも、国のためとは言いながらも、その辺に抜きがたい武士としての葛藤、ストレスも有ったのではないでしょうか?。 のちに伊藤博文が書き残した顕彰文の「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」という言葉は常に傍にいて高杉を支えた彼ならではの心底、実感だったのではないでしょうか。 来年のドラマに期待しています。 ただ、29歳の短命ながらも高杉晋作の全てを描くのは、色気あり文学あり音楽ありの中での「国難と青春の苦悩も有り」と言う波乱万丈で、中々難しい面もあります。 そんな中、自己PRとして、私自身も小説「高杉晋作・友よ」と言う作品を書いて有りますので、Amazonのキンドルにアップしたいと思います。どうぞ、こちらでもお楽しみ下さい。(続く)

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