2012年5月19日☆ 平成の森のこと


昨日、尊敬する伊藤さんから「最近更新がないね」と連絡があり、今あることに没頭中でブログの更新を忘れていたのを思いだし書き始めました。もの書きのサガでリクエストがあったり称賛を受けるとついその気になるのが悲しい所ですが(笑う)

伊藤さんと及川さんが楽しみにしてくれているというのは自分ながら、マンザラでもないか?(笑う)と一段と力が入ります。

いま、エリザべス女王の即位60周記念のお祝いに英国を訪れになっている、今上両陛下から先日二度目の仙台御巡幸、被災地の御幸行を頂きました。陛下御自身の体調も慮れる中、痛み入る次第です「平成の御代」陛下に於かれましては、きっと先の終戦の折に続く痛恨事だったのではないでしょうか。

表題の「平成の森」というのは昨年の震災に遭い、今多くの方が避難している、南三陸町「管の浜」(クダノハマ)とう国道45号線沿いの風光明媚な公園です。また、この地域からさきの歌津魚竜に続く「管の浜竜」という化石が発見され、考古学上でも世界的な場所です。そして「歌津魚竜館」もここにあります。

また昨年、両陛下から御幸行を賜った歌津中学校から東に向かって、追分という古風な地名の坂道を下った処で交わる国道45号線は、東部沿岸地域の生徒が通う、まさに思い出のいっぱい詰まった通学路でもありました。

そう、ある日の午後のことです
いましも、あの喧騒と疾風怒濤で、エキサイティングに盛り上がり、そして華やかに自由と青春を謳歌している教室、校庭、校舎をあとにした放課後のことです。

家路に向かい自転車に乗り、この「管の浜」の三叉路あたりまで来ると、だいぶ興奮も収まり、右に行くと「館浜」「稲淵」「泊浜」で初恋のひとEさんは此方を通るはず、私は左の国道を誰にも邪魔されず一人孤独に自転車をこぐ・・・

やれやれ、ここまで来ればEさんとも残念ながら会えなくなるが、よもや追いかけ来ることもないはず、と思って孤独に浸っていると、後ろからにぎやかに黄色い声の三人組の女学生、同じく自転車に乗り「いた いた やっぱり いたー」とか言って追いかけてくる。

エッー確かにさっきまで九学級の教室でローリング ストンーズの『ジャンピング ジャック フラッシュ』のレコードをかけて、級友たちと楽しそうにゴーゴーを踊っている姿を、確認してから帰って来たはずなのになぁー

当方、それまでの孤独のしじまが破られ、また多少色気ついていて照れて恥かしい、一生懸命自転車をこぐ、というシーンです。

時代は日本がこの年にアメリカについで世界第2位の経済大国になったときです。ちまたでは石原裕次郎が「黒部の太陽」を完成させ、美空ひばりが「真っ赤な太陽」を大ヒットさせていました。また、グループサウンズが全盛でザ・タイガースが「花の首飾り」ヴィレッジ・シンガーズが「バラ色の雲」や「亜麻色の髪の乙女」をヒットさせていました。

この次の年の春先に、今また注目されている由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」がヒットし、そして7月にアポロ11号の月面到達の大イベントがありましたので、由紀さんの夜明けのスキャットはあまりにも斬新で神秘的なのに、アポロの成功と相まって何か新しい時代が来たことを、もろに肌で感じました。多感なせいばかりではないようです。

思えばバブルまでの日本の超絶頂期の始まりでした。

そんな「オール ミッション スタート、エンジン全開バリバリ」な二十歳代に表題にある「平成の森公園」の計画構想を初めてプロデュースしました。私にとっては記念すべき父との永遠のモニュメントです。

当時、父が町の議員をしていて、志津川にある松原公園がうらやましく、歌津にも野球場、陸上競技場がほしいと、場所を三か所選んで(伊里前の町向の高台、管の浜の海を埋め立てる、現在地の丘陵地を造成する)と、マスタープランを立て、父に示し議会でご理解頂き、当時景気も良かったので難なく出来上がりました。

ただ、プランを示し父もいるし、役所にはこの間の津波で亡くなった従兄もいたので、任せきりにしていて、ある日、工事の進捗状況を見に現場に行くと、野球場とサッカー場が計画との反対の位置に建設中なので、従兄の一男さんは本気で甲子園を目指すほどの野球好きなのに、どうした事かと父に確認すると「地形の窪地を活かすとあのほうがベター」とのことでした。

たしかにその後何度も足を運び確認すると、春先には結構西風が強く、野球をするにはつらそうで、今の配置が正解なようです。この球場はナイター設備もあり楽天の2軍の試合も行われる本格的なものです。

そしてサッカー場にはいま二〇〇戸以上の仮設住宅が建ちましたが、これも津波が起きてすぐに提案しものです。その時、心の中で、親父さんに「やっぱりこの公園を造っておいて良かったですね」と呟きました。すると父はただ「フフッ」と笑って返してくれたような気がしました。

ちなみにその時、埋め立てを提案した「管の浜」には海浜を埋め立て「歌津魚竜館」が建ちました。今回半壊になるほどの被害を受けましたが、いち早く東北大学が復旧に入って下さり、展示物に大きな毀損もなくいずれまたオープン出来るようです。ありがたいことです。感謝しております。

そんなわけで陛下にはぜひ一度「平成の森」をご覧頂きたく、また、学術上貴重なウタツザウルスを観て頂きたく存じます。また、このコーナーを読み何か歌津に興味を抱かれ方は、励ます意味でも観光のためにも考古学上でもぜひ訪ねてみて下さい。おねがいします。

さらなるちなみにですが、歌津にはもっと奥の深い歴史がゴロゴロで、その内のひとつに維新期に東京大学の地学の教授として招聘され「ナウマン象」を発見したナウマンが、明治14年日本地学学会を設立し、全国調査を行った時、日本にも世界的な標準化石としての<平貝類>がある事を発見したのが、尊敬する伊藤さんの生家の庭先でした。

それが今「歌津皿貝貝塚」でモノチス皿貝と言い、地質学上で三畳紀の存在を証明する(アンモナイトやシーラカンスと同じく標準化石)として有名で、世界の研究者が時々訪れます。むしろ、歌津魚竜が発見される前はこちらが世界的にもメジャーな考古学遺跡でした。
その貝塚と私また伊藤さんとの中学での出会いをいつか書きましょう。ジャン ジャン

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